「男系か女系か」の前に知っておくべき「天皇とは何か」 天皇が権威として存続するために大事なことは「からっぽ」であること 京都大学名誉教授が論じる「異色の天皇論」

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 安定的な皇位継承のための皇室典範改正をめぐる議論が喧しい。「男系男子」に固執する人もいれば、「女性天皇」さらには「女系天皇」を容認すべきという人もいる。難しい問題であるが、そもそも私たち日本人にとって天皇とはいかなる存在なのだろうか。

 京都大学名誉教授の佐伯啓思氏は、新刊『日本人の精神I 権威と空気の構造』
(新潮選書)で、天皇とは「空無」な「かたち」であると論じている。以下、同書の一部を再編集して紹介する。

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 天皇は、世俗的現実からすれば、「空」といってよい。姓をもたず、現実世界での具体的人格をもたない。世襲的な職業人というわけでもない。権力者でもない。ただ「天皇」という「かたち」だけが大事なのである。

「現人神」すなわち「現御神(アキツミカミ)」とは神の顕現であるが、「神」は、この現実世界においてはあるべき場所も果たすべき役割もない。

 ただただ、そういうものが高天原という神つ国に存在すればよいのであり、この現実世界では天皇はただ神的なものの表象として、内実を持たない。その意味で、日本の「神」は、内容の「空無」な「かたち」であればよい。

ロラン・バルトと河合隼雄

 しばしばいわれるように、日本の神社は、その中を覗いても何か目に見える特別な物体がおかれているわけではない。内部を覗けばからっぽである。だが「からっぽ」が大事なのであって、この「からっぽ」、すなわち余計なものをすべてそぎ落とした純粋な「かたち」こそ、日本における「神的なもの」の本質である。それゆえ、世俗からすれば神は「空無」である。

 しかしこのからっぽの「かたち」こそが神の本質であり、からっぽの場所のみによって神聖が生み出されるのが日本の信仰のあり方である。それは「記紀」にいかなる神の所業が書かれているかなどとはまったく無関係のことである。

 日本にやってきて、「皇居は空虚な中心だ」といったのはロラン・バルトであり、日本社会の基本構造を「中空構造」と呼んだのは河合隼雄だったが、確かに「現人神」である天皇は「空無のかたち」というほかない。

「絶対無の場所」

 こうして、「絶対的な空の場」は、日本全体を満遍なく包摂する。日本の全歴史と全空間と全人民はすべて天皇に包摂される。たいへんなものである。「絶対的な空の場」だからこそ、それはすべてを包摂する。

 天皇は具体的な何ものかに偏した実体的な存在ではないがゆえに、それは西田哲学の用語を使えば、「絶対無の場所」として日本および日本人の全体性を包摂し、「日本」なるものをその場所に映し出すのである。
 
 もう一言だけ述べておけば、天皇制度が実に「日本的」だというのは、次のような意味をも含んでいる。それは、天皇は、「神的世界」と「世俗世界」を媒介するのだが、その場合、天皇は、あくまでその背後に隠れた「神つ国」を暗示している。自身が神であり、かつ祭祀者であるという独特の二重性によって、天皇は「神」を暗示しその代理となる。

見える存在と見えない存在

 つまり、祭祀者としての天皇は現実にそこに存在するのだが、祭祀の対象である神としての天皇は現実の背後に退いて見えない。ただ祭祀者が祭祀を執り行うことで、背後に隠れた神が暗示されているのである。神が確かにいるから祭祀が行われるのではない。祭祀者によって祭祀が行われるから神がいるのである。

 何とも興味深いのは、天皇という存在が、「見える存在」と「見えない存在」の両面を併せ持っている点である。だが、考えてみれば、これは天皇に限ったことではないのかもしれない。日本の神観念は、われわれ一人一人の中に「神」は宿るとも考えられている。「神」はあらゆる存在の中に宿るとも考えられる。

 とすれば、われわれの誰もが、神でもあり、また神を祀る者でもあろう。天皇のもつ二面性は、実は、日本人そのもののありようを示していることになるのではなかろうか。だからこそ天皇は、日本人の宗教的な精神性のもっとも深いところに宿るある心的な事情を表しているのだ。

「見えない神」の媒介者

 天皇が一方で祀る存在であり、他方で祀られる存在である、というこの一種の循環構造、もしくは二重構造は、確かに「日本的な独特の権威構造」といってよい。究極の権威である「神」は天皇を通じて現実世界へ降臨するのであるが、また祭祀者である天皇が現実に存在することで「神」は存在するのだ。

 この循環構造を支えている心理的契機は何かといえば、世俗的世界の背後には「見えない神の世界」が広がっているというある種の神秘的感覚である。

 神々の世界は見ることができない。その「見えない世界」こそが、「見える現実世界」を支えている。天皇はそれを媒介する「代理者」であり「特権者」であり、「媒介者」である。それは、「見えない世界」に半身を置くがゆえに「見える世界」における万全な権威をもつ。

 社会を動かすのは、目に見える権力だけではない。強制力を行使することなく、「からっぽ」であるがゆえに全体を包み込む――そうした権威のかたちが、日本にはあるのだ。
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※本記事は、佐伯啓思著『日本人の精神I 権威と空気の構造』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

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