中国高層ビル・小型機衝突は覚悟の“自爆”だった 隠蔽に必死の「習近平」国家主席 暗殺におびえ、北京防空網の“ゆるさ”に激怒
意図的な衝突
何より今回の事件が物語るのは、北京の防空網のありえないほどの「ゆるさ」だ。
中国の民間航空業務を管轄する中国民用航空局は、北京の空域において世界で最も厳格な部類の安全対策を実施している。民間航空機は北京中心部を避けるために長距離の迂回を余儀なくされることが多い。例えば、中国の民間航空業界でよく知られた用語に「北京大ターン(旋回)」がある。市内にある北京首都国際空港や大興空港から離陸する民間航空便は、北京上空の空域を意図的に避けて空中でほぼ90度旋回しなければならない。 それほどまでに北京上空の空域は厳格に規制されている。
それにもかかわらず、66歳のフリーランス男性がやすやすとそれを突破し、ビルに「自爆」突入した。裏を返せば、習主席など政権中枢へのテロの実行可能性が否定できないことがわかったのだ。
「赤の広場事件」との類似
飛行機のビル衝突と言えば、まず思い出されるのは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件だが、大型旅客機ボーイング767機2機がNYのワールドトレードセンター(WTC)ツインタワーに突っ込み、約3000人の命を奪い、ビルを廃墟に化した歴史的事件とはあらゆる意味で比較にならない。
むしろ今回と同様のケースとしては、1987年5月28日に起きた旧ソ連の「赤の広場事件」が挙げられる。19歳の西ドイツのアマチュア男性パイロット、マティアス・ルストがフィンランドのヘルシンキから民間の小型単発機セスナC-172Pを単独で操縦し、エストニアとレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)上空を低高度で飛行。ソ連の防空レーダーカバーエリアに侵入し、約5時間かけてモスクワの「赤の広場」に着陸し、ソ連の「防空神話」を打ち砕いた事件である。
彼は後の公判でその動機を「世間の注目を集めたかったから」と説明している。当時のソ連の領土防空軍は数十万人の兵士、数千機の戦闘機、約一万基の防空ミサイル発射装置を有していたにもかかわらず、たった1機の遅い民間機を止められず、ソ連軍の「不滅」のイメージに深刻なダメージを与えたのだった。この事件は最終的に、国防大臣を含む数百人の上級防空関係者の解任につながり、粛清の規模は数百人から約2000人の将校に及んだとされる。また、当時のミハイル・ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が保守派を粛清する重要な機会となった。
そして事件の4年後、ソ連は崩壊した。
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