「戦争帰りの老ホストが、客に“日本男児かくあるべし”と…」生バンドに社交ダンス、リーゼント…歴30年のベテランが語る“平成ホスト”の異世界

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「新人いびり」の洗礼を越えて

 2025年に施行された改正風営法によって、原則として深夜営業が禁止されている現在とは違い、光司さんが在籍していた店の営業時間は深夜12時から朝方まで。これも令和の今と大きく違う点だろう。

「僕は大学終わってから午後10時ぐらいに出勤し、まずおしぼりを作る。いちばん若手のペーペーなので、全部僕1人でやる。開店準備が遅いだのなんだのって、先輩に怒鳴られる、蹴られるは当たり前でしたね」

 店が終わったら後片付けも1人。店が入る雑居ビルの、床や階段まですべて拭けと命じられ、その日の勤務が終わる……そんな過酷な労働環境が、光司さんを強くした。先輩たちの席でグラスを干すうち、優秀なヘルプとして徐々に認められるように。また客のマダムたちにも少しずつ可愛がられるようになっていった。

「当時、ホストのお店に来るお客さんは、ヤクザの奥さんやクラブのママ、パチンコ店経営者の奥さんや大きな病院の院長夫人……そういう“有閑マダム”たちでした。新規客が半年に1度も来ないような、会員制に近いクローズドな世界。ボトルはマーテルやヘネシーといった洋酒だけ。今では10万はくだらないドンペリも3万円ほどと安かった。それでも皆さん『今日は100万円で足りるかしら?』と聞いてくるような、リッチなお客さんばかりでしたね」

 礼儀作法とダンス、そして話術を身に着け、5年後には“大阪・ミナミのナンバーワンホスト”となった光司さん。だが、あることがきっかけで「東京」に目を向け始める。

伝説の「愛本店」へ

「東京の『愛本店』のホストたちが大阪に遊びに来たことがきっかけでした。彼らとは同業者つながり。情報交換する仲だった」

 愛本店といえば1971年創業。ホスト店の草分け的存在であり、数多くの人気ホストを輩出してきた新宿・歌舞伎町の老舗クラブだった。

「東京では、新規客が毎日5組も6組も来ると言うんです。回転率がものすごくいいと。大阪では新規なんてほぼないのに、最初は嘘やと思った。でも、本当なら東京でやってみたいわーとも思ったんです。だって東京のみんな、僕より大して格好よくもなかったし(笑)」

 果たして向かった愛本店は、想像を超える華美な店構え。入り口にはナンバーワンから20位までの「ナンバーホスト」の写真がうやうやしく貼り出され、新規客を積極的に取り込む仕掛けが整っていた。

「大阪のホスト店は看板も出さず、ひっそり営業する。ましてや路面店なんてありえなかった。でも、愛本店はど派手に営業していた。創業者・愛田武社長のブランディングは本当にお見事でしたね」

 大学を卒業し、東京行きを決めた光司さんは、そのまま愛本店に特別採用される。大阪での実績が認められ、ベテランホストたちが在籍する「1部」に配属されたのだ。

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