歴史ある「宮中晩餐会」で“配膳方法”が大きく変わった理由とは? 天皇皇后両陛下ならではの「令和流のおもてなし」に脚光

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 皇居で5月に催された宮中晩餐会では、国賓として来日していたフィリピン大統領に、明治時代以降、皇室で受け継がれてきた羊肉(ラム・マトン)をメインの肉とする伝統的なフランス料理が提供されたが、実は配膳方法に関しては、天皇皇后両陛下のアイデアが反映された「令和流」だった。両陛下による令和流とはどのようなものか、その核心を紹介するとともに、宮中晩餐会で供される料理の“肉”の歴史にスポットを当てた。

肉食が禁止されていた江戸時代

 5月27日、皇居の中にある宮殿の大宴会場「豊明殿」で開かれた宮中晩餐会では「羊のもも肉の蒸し焼き」がメイン料理として出された。宮中晩餐会は国賓のために催されるのが慣例だが、メインメニューはなぜ、フレンチの羊肉料理なのだろうか。

 まずは歴史を遡ってみると、日本の江戸時代では、宗教は神仏習合によって仏教と神道が融合したかたちで信仰されていた。いまも初詣で、お寺に行くか神社に行くかに明確な線引きはせず、同じように賽銭箱にお賽銭を入れるのは、神仏習合の慣習が残っているからだ。

 また当時は道徳観の面で、儒教が強く影響していた。仏教と儒教は、ともに肉食禁止の戒律があったことから、鳥と魚を除いた肉食が禁じられていたのだ。鳥がOKだった理由は「鳥は牛や豚と違い、4足歩行でなく2足歩行なので魚に近いから」という意味不明な説のほか、「牛や馬は農業や交通手段として貴重だが、ニワトリやキジなどの鳥は食べる以外に役に立たないため」という説もある。

 だが、黒船来航をきっかけに、江戸幕府の鎖国政策が撤回され、開国に伴い日米修好通商条約などの不平等条約を欧米各国と結んだことから、明治維新で倒幕を果たした明治政府は条約撤廃に向け、先進国の仲間に入るため西洋化政策に着手する。「西洋料理を食べるためには、メインとなる獣肉を解禁する必要がある」との声が強まり、明治天皇の肉食が1871(明治4)年12月17日に開始され、一般にも肉食が解禁された。

 明治天皇の食卓には当初、「牛羊の肉は平常」で出され、「豚・鹿・猪・兎の肉は時々少量を」出されたという記録が残っている。またこれに先立ち「明治4年11月から天皇の、12月4日からは皇后の牛乳の飲用」が始まったとの記録も残る。

 天皇・皇族が現在、日常的に愛飲している牛乳は、栃木の御料牧場で生産している。ここでは皇室が自らの食事や内外の賓客をもてなす際に使用される羊や牛、ニワトリなどの飼育と精肉。牛乳、卵の出荷をしている。御料牧場は明治時代に千葉の成田に整備されたが、成田空港の造成が決まり、1969(昭和44)年に移転した。ちなみに御料牧場の牛乳は、宮内庁の地下にある食堂脇で瓶入りのものが販売されており、職員や宮内記者会の記者らも80円で購入が可能だ。

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