前代未聞の“社長誘拐”で幕を開けた「グリコ・森永事件」…新聞が1面トップで報じた後に“報道協定”の大混乱 劇場型犯罪のウラで週刊誌記者はどう取材に当たったか
朝刊での大報道後に“報道協定”締結
ニュースでは、まだ「誘拐」や「身代金要求」などのコトバは使われていなかった。あとでわかるのだが、事件発生直後に社長夫人がかけた110番通報の中身は「うちにドロボーが入りました。すぐ来てください」だったのだ。よって警察が「誘拐事件」と認識するまで、時間がかかったのだ。
時計の針がまわって午前1時過ぎ、江崎グリコ人事部長宅に犯人から電話が入った。指示に従って大阪・高槻市内の電話ボックスへ行くと、脅迫状があった。〈現金10億円と金100kgをよおいしろ けいさつにしらせたら人質をかならず殺す〉と、タイプで打たれていた。受け渡し方法も具体的に記されていた(のちに犯人は、自らを〈かい人21面相〉と名乗る)。この時点で、警察は初めて「身代金目的の誘拐事件」と断定したのである。事件発生から4時間以上が経過していた。
だがすでに新聞各紙は、ここまでの事態をもとに記事を組み、翌19日朝刊の印刷に入ってしまっていた。当時、新聞朝刊の最終締切は、午前1~2時だった。
被害者の安全を考慮して報道を控える“報道協定”が、警察と報道陣との間で、仮合意を経て正式合意となったのは、午前7時過ぎだった。もちろんそのころには、朝刊各紙の大報道で、日本中が事件を知っていた――〈江崎グリコ社長を連れ去る〉〈入浴中、裸のまま〉〈自宅に銃持ち二人組〉〈10億円出せと脅迫状〉(朝日新聞3月19日付朝刊)。
その朝、A記者も、駅前売店で買った朝刊各紙に目を通していた。これだけ大々的に報道されているなら、差し替えは確実だ。だが……編集部からの連絡は、なかなか来ない。そういえば、テレビのニュースやワイドショーでは、一切、報道されなくなった。いったい、なにが起きているのか。
実はこのとき、週刊新潮をはじめとする多くの雑誌編集部にも、〈日本雑誌協会〉を通じて、“報道協定”に従ってほしいとの要請が来ていたのだ。そもそもこの“報道協定”とは、どういうものなのだろうか。
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