「下手になったら人気が出た」志磨遼平が明かす毛皮のマリーズ解散、ドレスコーズ結成の舞台裏
30代で「ドレスコーズ」に
だが、志磨自身がそこで止まるわけではなく、解散直後の2012年頭にはバンド「ドレスコーズ」を結成した。当初は4人組バンドだったが、現在は志磨のソロプロジェクトだ。
「毛皮のマリーズが、テクニックを度外視して破壊衝動だけで突き進んだバンドだったんで、今度は技術も創造性も持ち合わせた才能あふれるメンバーに声を掛けたんです。そういう人たちと衝突しながら音楽を突き詰めようと。つまり、ようやく純粋に音楽と向き合うことになったんです」
だが現実は想像よりも難しかった。
「音楽っていうのは音楽だけでは成り立たないというか。人間関係や思いやりがあってのものなんでしょうね。時には自分の意見を譲ったり曲げたりすることも必要で、今度はそこに悩むようになった。本心を隠してメンバーの顔色をうかがいながら、自分の中にドロドロしたものが溜まっていくという、ある意味で少年時代と同じ状況になってしまった。またしてもそれが爆発を起こして、結成から2年でソロプロジェクトになってしまいました」
あえてバンド名の「ドレスコーズ」は残した。あくまでもバンドであり続けると主張したかったことと、抜けた3人にも誇りに思ってもらえるような活動を続けていこうという気持ちがあったからだ。
楽曲提供は「プレゼント」
志磨遼平を語る上では、楽曲提供者としての横顔に触れないわけにはいかない。SMAPから氣志團、ももいろクローバーZ、菅田将暉、PUFFYら、様々なアーティストに楽曲を書いてきた。
「人に曲を贈るのは好きです。いわゆる職業作曲家みたいな仕事に憧れがずっとあるんですよ。筒美京平さんのように、この曲も、これもこれも全部あの人が書いていたのか、というような才能に憧れる。米国のバート・バカラックやフランスのセルジュ・ゲンスブールなんかもそうです。方法は自分の曲を作るときと変わりませんが、人に曲を書くときは、プレゼントに悩むような気持ちで作る。あの人に似合うかな、気に入ってもらえれば嬉しいし、せめて部屋の隅にでも置いといてもらえればという気持ち。提供するアーティストのファンの人にも同じように喜んでもらえるようなものを贈る、そういう気持ちですね」
王道的に似合うものだけをあげても「似たようなもの(曲)をいっぱい持っているならこれはあげてもしょうがない」。むしろ「意外と似合うけど持っていなさそう」といった視点から、提供曲を考えていくという。
[3/4ページ]

