三谷幸喜が「古畑任三郎」に想定していた“意外な俳優”とは? キャスティングの意外な真実
近年、元気がないと言われるテレビですが、その面白さに再注目してほしいと声をあげているのが脚本家の三谷幸喜さんと時代劇研究家でコラムニストのペリー荻野さん。1960年代初めに生まれた2人は、テレビ黄金時代の熱波を全身に浴びて育ち、仕事にまでしてしまった「元祖テレビっ子」。マニアックな番組の思い出や俳優の小ネタをショートメールで頻繁にやり取りし、その知識を共有する間柄です。
2人が偏愛する番組と実人生への影響を熱く語り合った対談集『もうひとつ、いいですか?』(新潮社)では、大河ドラマ、海外ドラマ、刑事探偵ドラマ、ホームドラマ、追悼・西田敏行さん、1973年の6つのテーマに沿って、お宝エピソードを惜しみなく披露。
今回は「刑事探偵ドラマ編」から、名作ドラマ『古畑任三郎』誕生にまつわる驚きの事実が明かされるパートをご紹介します。(以下、同書より抜粋・再構成)。
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三谷 『古畑任三郎』の話の前に、本当に大変だった『振り返れば奴がいる』の思い出も少しいいですか? ある日、芝居の稽古場にテレビ局の人たちがやって来て、脚本の執筆をオファーされました。もちろん嬉しくて「書きたいです」と答えたんですが、よく聞くと、『振り返れば』の放送開始は翌年1月。僕に声がかかったのは確か10月頃だったんですよ。3カ月しかない。
ペリー それは怖い。怖すぎる。
三谷 ちゃんとは確認してないけど、初めに頼んでた作家が降板したらしいです。オープニング映像だけはできていて、どこかの埠頭で黒いコートを着た織田裕二さんと白いコートを着た石黒賢さんが走っている。「こんな雰囲気なんです」と言われて、あとはまだ何も決まってないと。じゃあ僕は駅伝の話にしようと。
ペリー そういうことじゃない(笑)。
三谷 リアルに「そういうことではなくて」って言われました。「本当に悪いやつと本当に良いやつの戦いにしたい。たとえば、医者ものはどうですか」と提案され、僕は医師について何も知りませんでしたから、病院に1回見学に行かせてもらい、あとは『ブラック・ジャック』を全巻読んで書き始めた。
ペリー それで連ドラ書けちゃうんだ……。いきなりウルトラハードな修羅場を乗り切ってからの『古畑』だったわけですが、撮影はどんな雰囲気で始まったんですか?
三谷 主演の田村正和さんはストイックで、完全にセリフを覚えてからでないとクランクインされない方。毎週追い立てられるのは嫌だとおっしゃって、最初は月に1本撮るぐらいのゆるやかなペースでスタートしました。
ペリー 連ドラでは珍しいですよね。
三谷 だから、ホンもじっくり書けたんですよ。実は田村さんが決まる前、最初に企画を立てた時に僕の中で古畑は玉置浩二さんのイメージでした。
ペリー なんと。玉置さん、のちに犯人役で登場しますが(「追いつめられて」、のち「雲の中の死」に改題)、古畑役とは意外。
三谷 僕の古畑のイメージは、どこか人間離れした、真っ黒な装いの悪魔的な人物。玉置さんはぴったりだと思ったんですが、それは自分の中だけに留めておいた。ちょっとマニアックすぎるかなと。当時流れていた、田村さんがセリフを喋りながらカメラ目線で歩いてきて電話ボックスにぶつかる国際電話のCMがあって、そうだ、田村さんはどうだろう、と閃いた。ぶつかる演技をするのって、すごく難しいんですよ、予測しちゃうから。きっとこの人は笑いのセンスもあるすごい俳優さんだと思っていました。
ペリー そのCMに感謝ですね。
三谷 でも、田村さんは、それまで一度も刑事ものをやったことがない。「とにかく、まず1本見せてくれませんか」と言われて、すぐに書いて読んでもらいました。それが堺正章さんがゲストの回です。
ペリー 堺さんが歌舞伎役者を演じた「動く死体」ですね。舞台の昇降装置が殺人の鍵となる。
三谷 田村さんは「自分は銃を撃つのは好きじゃないし、人情ものもイメージじゃないので、これまで刑事ものをやってこなかったんだけれど、このホンだったらやってみたい」とおっしゃってお引き受けいただきました。
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※本記事は、『もうひとつ、いいですか?』(新潮社)の一部を抜粋、再編集したものです。











