「私には無理です」と有働由美子に言わせた三谷幸喜 ナレーションに“ある伝説の声”を求めた無茶ぶり秘話

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 近年、元気がないと言われるテレビですが、その面白さに再注目してほしいと声をあげているのが脚本家の三谷幸喜さんと時代劇研究家でコラムニストのペリー荻野さん。1960年代初めに生まれた2人は、テレビ黄金時代の熱波を全身に浴びて育ち、仕事にまでしてしまった「元祖テレビっ子」。マニアックな番組の思い出や俳優の小ネタをショートメールで頻繁にやり取りし、その知識を共有する間柄です。

 2人が偏愛する番組と実人生への影響を熱く語り合った対談集『もうひとつ、いいですか?』(新潮社)では、大河ドラマ、海外ドラマ、刑事探偵ドラマ、ホームドラマ、追悼・西田敏行さん、1973年の6つのテーマに沿って、お宝エピソードを惜しみなく披露。

 今回は「大河ドラマ編」から大河におけるナレーションの重要性を語り合ったパートをお届けします。(以下、同書より抜粋・再構成)。

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ペリー 三谷さんが大河視聴デビューをした『国盗り物語』。このドラマは中西龍(りょう)さんのナレーションもカッコよかったですね。

三谷 中西さん、大好きです。

ペリー ドラマは「永正十四年六月二十日、降るような星空であった。京は度重なる戦乱で荒廃し、御所は廃墟に近かった」という語りで幕を開ける。これを聞くだけで心が沸き立ちます。

三谷 僕が放送作家になった頃、『ゆく年くる年』は、NHKだけでなく民放各局でもやっていたんですが。

ペリー はい、そうでしたね。

三谷 『やっぱり猫が好き』をやっていた89年の暮れにフジテレビの『ゆく年くる年』に構成作家として参加しまして。どうしても中西さんにナレーションをお願いしたいと思って、大晦日の夜空をヘリコプターで飛んでもらい、「こんばんは、中西龍です」と生中継してもらったんです。

ペリー なんと! 個人的な思い入れを実現しちゃった!

三谷 中西さんとお会いした時に「『国盗り物語』のナレーションが大好きで、子どもながらに中西さんのものまねをしていました」とお話しして、その場ではすごく喜んで下さったんですが、後になって「あのヘリからの中継はすごく腹立たしかった」と語っていらしたと、どこかで読んでショックだった。なんで寒い大晦日の夜にヘリに乗せられて、「中西龍です」「中西龍です」って何度も言わなきゃいけなかったんだ、と。

ペリー なぜなら、中西さんにそのセリフを言わせたくてたまらない三谷さんが台本を書いていたからです。

三谷 昔の大河のナレーションはちょっとテレビ小説みたいな雰囲気がありますよね。もしかしたら、司馬遼太郎さんの原作の地の文を名調子で語って繋いでいたのかもしれない。僕は大河のナレーションは中西さん以外考えられなかったので、『新選組!』のときはあえてナレーションを入れませんでした。総集編だけはそうもいかず、沖田総司の姉役の沢口靖子さんに語りをお願いしましたが。二度目の『真田丸』では、有働由美子さんがやって下さることになり、「中西龍さんのイメージでやって下さい」とお願いしたんです。

ペリー 有働さんに「中西節」を求めたんですか!?

三谷 有働さんも中西さんの語りを調べて下さって、「戦国という大海原に、一隻の小船が漕ぎ出した。船の名前は、真田丸。波乱万丈の船出である!」みたいな名調子風にやってもらったんですが、さすがに違和感があって、徐々に修正してもらいました。「すみません。私には無理です」とおっしゃっていた。結果的には有働流の素敵なものになりましたが、悪いことしちゃった。

ペリー やはりあの語りは中西さんならではなんですね。それを当ててきたNHKのセンスもすごかったんだ。

三谷 『鎌倉殿の13人』の時は、長澤まさみさんに、中西さんとは正反対の耳元ささやき調でお願いしました。これも良かった。僕にとって、大河のナレーションはとても重要なんです。

 関連記事〈三谷幸喜「日本で一番の大河ファンである自信がある」 好きすぎて“草刈正雄の顔を…” 筋金入り大河少年の仰天エピソード〉では、三谷さんの大河ドラマへの“愛の表現”について語られている。

※本記事は、『もうひとつ、いいですか?』(新潮社)の一部を抜粋、再編集したものです。

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