「槇原寛己」の偉業達成から32年…すべての投手にとって“永遠の夢”、選手もファンも魅了してやまない「完全試合」という伝説

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完全試合って、やっぱりすごいんだなあ

 槇原寛己が完全試合を達成し、福岡から東京に戻った翌朝、私は雑誌「Number」の取材で槇原に会った。記録達成の興奮や余韻が槇原の明るい表情にあふれていた。

 自宅に近い世田谷美術館前、砧公園のベンチがインタビューに指定された待ち合わせ場所だった。公園を散歩する人たちが槇原を見つけ、「完全試合、おめでとうございます!」と声をかけて行く。槇原は、明るく応えながら呟いた。

「いつもとは違いますね。完全試合って、やっぱりすごいんだなあ」

 天下の巨人のエース投手、その前年には通算100勝を達成している槇原だから、見知らぬファンに声をかけられるのは日常茶飯事。だが、完全試合達成後の周囲の笑顔、その喜びようは格別だと、槇原自身も実感したようだ。

 インタビューで槇原は、こんな話をしてくれた。

「先発する少し前に、亡くなった広島の津田投手のドキュメンタリーを見たんです。すごく感動して」

 福岡で先発マウンドに上がる槇原の中に、特別な感慨があった、という。

 その番組は、《NHKスペシャル もう一度投げたかった 炎のストッパー津田恒美の直球人生》。前年の7月、脳腫瘍のため32歳の若さで亡くなった元広島カープの津田恒美の闘病生活を追ったドキュメンタリー。

 津田は1986年、血行障害などを克服し4勝22セーブを挙げて広島5度目のリーグ優勝に貢献、カムバック賞にも輝いた。89年には7年ぶりの2ケタ勝利も挙げ(12勝)、28セーブでファイアマン賞も獲得した。槇原にとっては3年先輩、眩しく背中を追いかける存在だった。その津田の無念と執念が、槇原に特別な力を与えた……。

投手の永遠の夢

 一方で、後に槇原は登板の二日前、福岡の繁華街・中州で痛飲し、深夜1時ころに堀内投手コーチ(当時)に見つかって「罰金5万円と外出禁止1ヵ月」を言い渡されたと、二宮清純さんのインタビューで告白している。外出禁止1ヵ月は厳しすぎる、マネジャーに抗議したら「次の登板の結果を見てから」と言われた。つまり、18日の登板は、その意味でも背水の陣だったというわけだ。

 ノーヒットノーランは過去10年間で14人が達成している(クライマックスシリーズで達成した菅野智之も含む)。MLBでも2020年以降だけで16人が達成。

 だが完全試合となるとMLBでも過去24回。2012年に1シーズン3人が達成という珍しい記録はあるが、それ以後は2023年の一度しかない。

「無安打無得点」に加えて「無走者」が完全試合。つまり四死球もエラーなどによる出塁もなし。投手の永遠の夢。この記録をMLBに渡った日本人で初めて達成するのは、誰だろう。

 日本で2度のノーヒットノーランを達成している山本由伸(ドジャース)か、日本で一度、MLBでも3人の継投でノーヒットノーランを経験している今永昇太(カブス)か、あるいは佐々木朗希(ドジャース)か大谷翔平(ドジャース)に、いつだって完全試合の夢を描いて試合を見るのが、投手出身者の習性だ。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部

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