憧れの街「港区白金」を廃墟にする“エゴ”と“無策” タワマン再開発の裏側
顧みられない住民のささやかな願い
ほかの住民に話を聞くと、たとえば次のような声が聞こえてきた。
「90歳近い母親と2人で暮らしていますが、住み慣れた自宅で最後の時をすごしたいと望んでいますし、そもそも高齢で引っ越しに耐えられません」(60代男性)
「自宅で飲食店を経営していますが、この年齢で引っ越しなど考えられないし、いったん店を閉めて、再開発ビルで再開できるころには、私自身が衰えて、もう店なんかできないでしょう」(80代前半の男性)
2048年ごろまでに日本の総人口が1億人を切る、と国土交通省は推計している。しかも、各種の予測以上に急速に少子化が進んでいる以上、1億人の大台はもっと早い時期に割り込むだろう。そんな時代に必要なのは住宅建設ではなく、空き家対策とか、都市やインフラのコンパクト化であるはずだ。現在、港区がいくら勝ち組でも、それは続かない。仮に続いたとしても、再開発地区が栄えた分、ほかの地域がスラム化するだけだ。
それでも、〈老朽木造建築物が密集している地区等において、細分化された敷地の統合、不燃化された共同建築物の建築、公園、広場、街路等の公共施設の整備等を行う〉という必要が本当にあるなら、まだ再開発の大義名分は立つ。
しかし、民間業者の利益と、彼らに乗せられた地権者のエゴのために、再開発の必要がない地域が開発され、住み慣れた家に住みたいという、人としての当たり前にして最低限の願いが踏みにじられるとしたらどうだろうか。
「白金1丁目東部中地区」で、再開発を望む地権者たちの井戸端会議では、「どっちの人はどれだけ利益を得るとか、こっちの坪単価はいくらだとか、そんな話ばかり」だという。それが実態であるなら、港区は、「住民の生活向上や福祉の増進」に利するように、業者や賛成派を導かなければいけないはずなのに、一緒になって再開発の推進に前のめりになっているのだから情けなさすぎる。
こうした再開発には、人口減少社会における持続可能性がまるでない。それなのに強引に進めようとする民間の業者と、人を犠牲にしても自分の利益を優先する地権者、彼らを調整するどころか、むしろつけ上がらせる自治体は、日本人の精神の劣化の象徴でもあるといえよう。



