エンタメ情報誌「ぴあ」復活! 創業者「矢内廣社長」インタビュー AI時代にあえて“紙の雑誌”をパラパラとめくって探す「偶然の出会い」の魅力
エンタメ情報誌「ぴあ」が、「とぶ!ぴあ」となって、新装刊された。“紙”としての「ぴあ」は、2011年に休刊しているので、15年ぶりの復活である。表紙は、おなじみ及川正通氏で、ゴジラが描かれている。ゴジラが服を着ている姿は、これが初めてらしい。折込の第2表紙は、映画「国宝」の吉沢亮だ。
【写真を見る】「自分の頭でモノを考える力を」…矢内社長の熱い想いを体現した新創刊と、思わず「懐かしい!」と言ってしまいたくなる「ぴあ」の名物表紙
この復活を、「ぴあ」創業者・初代編集長は、どんな思いで見たのだろうか――多忙な合間を縫って、矢内廣社長のお話をうかがうことができた。
だがその前に――もしかしたら、いまの若い方々は「ぴあ」と聞いても、チケット販売システム「チケットぴあ」しか思い浮かばないかもしれない。情報誌「ぴあ」は、日本の出版界に“革命”を起こしたといっても過言ではない画期的な雑誌であった。まず、その歴史について、簡単に説明しておこう。
「ゴッドファーザー」と「団地妻」が並んでいる雑誌
映画・演劇・音楽の総合ガイド誌、月刊「ぴあ」が創刊されたのは、1972年7月である。定価100円。中央大学法学部の4年生、矢内廣が、仲間たちとともにつくりあげた。矢内は、福島県の現いわき市出身、映画好きな青年だった。だが学生はカネがない。そこで、安く見られる「名画座」へ通っていたが、当時はいまのようなインターネットのある時代ではない。
〈「あの監督の、この作品が見たい」と思っても、いまどの映画館でやっているのか、上映は何時からで、料金はいくらか、という肝心の情報を伝えるメディアは、ほとんどなし。せいぜい新聞夕刊の3行広告や、映画専門誌『キネマ旬報』の名画座情報くらいで、東京都内の映画館を網羅するようなものはありませんでした。〉(矢内廣著『岩は、動く』ぴあ刊より)
たしかにこの当時は、事前に映画館に電話をかけて上映時間を確認するか、あるいは、時間は気にせず、とにかく行って途中から観る。つづけて2回目の上映を最初から観て、「ああ、さっきここから観たんだっけ」と、納得して退出する……そんな鑑賞スタイルが当たり前だったのだ。
そこで、「映画や演劇、展覧会やコンサートなど、カルチャー系の“見たいもの”すべての情報を網羅した媒体」というコンセプトで、「ぴあ」を創刊した。内容は、いたって“即物的”だった。
〈編集方針のベースに置いたのは、「いつ」「どこで」「誰が」「何を」という客観情報だけを載せる、ということでした。裏を返すと、作り手の主観は排除し、正確な情報を網羅することだけを考える。(略)例えば著名なアーティストに関するメジャー情報も、自主制作映画のようなマイナーな情報も、掲載される時は同じ扱いで、編集上の操作は行いませんでした。〉
この編集方針は実に新鮮だった。たとえば創刊号を見ると、テアトル東京の「ゴッドファーザー」、丸の内ピカデリーの「男はつらいよ・柴又慕情」、新宿日活オデオン座の「団地妻・忘れ得ぬ夜」が、まったく同格で扱われているのだ。そのほか、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)の「占領下の日本映画」特集、渋谷・天井桟敷館での寺山修司映画の自主上映などという、かなりマニアックな企画も、ふつうに載っていた。
だが問題は、矢内たちには「販売ルートがない」ことだった。
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