秀吉と秀長は「戦国時代では異例の関係」「二人の女性関係は正反対」 『豊臣兄弟!』を楽しむための七つの視点を専門家が解説

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「食えない男」

 3番目だが、徳川家康との関係にも注目しておくと面白いと思う。秀長と家康は後に、秀吉の政権を支える「兄弟」になるからである。

「豊臣兄弟!」では実直な秀長に対し、松下洸平演じる家康は、腹に一物ある「食えない男」として描かれている。彼らが「兄弟」になるのは、家康が秀吉に臣従する直前で、家康が希望して秀吉と秀長の妹の朝日を正室に迎えたからだ。

 天正14年(1586)10月27日、大坂城で家康が秀吉に臣従を誓うと、その前後に、家康も秀長も朝廷から、同じ正三位権中納言を授けられた。以後、二人は秀長が死去するまでずっと同格で、秀吉の次に高いポジションにいた。

 秀吉は天下人たる自分を二人の「弟」が支え、政権の基盤は固いと世間に示したかったのだろう。もっとも、秀吉を実質的に支えたのは秀長だが、その死後には「食えない男」の存在感が高まっていく。少し先の話だが、頭の片隅に置くと、人間関係が立体的に見えてくるはずだ。

度が過ぎた女好き

 続いて4番目は、豊臣兄弟の女性関係の違いに注目したい。ドラマでは、秀吉は若い頃から女遊びが派手で、正妻の寧々が苦労するのに対し、秀長は奥手として描かれているが、史実に近いと思われる。

「豊臣兄弟!」では、秀長は同郷の直(白石聖)と将来を誓い合い、直の死後は信長(小栗旬)の命で、斎藤家の旧臣、安藤守就(もりなり・田中哲司)の娘の慶(ちか・吉岡里帆)と結婚する。

 だが、秀長の妻が同時代の史料にやっと登場するのは、本能寺の変から3年後で、その出自は分からない。ただ、秀長の死後、彼女が生前供養した際、法名が「慈雲院芳室紹慶」と書かれているので、ドラマ同様、慶だった可能性はある。

 ともかく彼女が正妻で、秀長も戦国武将だから、ほかに別妻が何人いてもおかしくない。だが、秀長の妻はほかに1人、「摂取院光秀」という法名が伝わるだけで、史料にはそれ以外、女っ気が見られない。

 一方の秀吉は、浅井長政と信長の妹「市」の娘である茶々、すなわち淀殿はもちろん、京極高次の妹の松の丸殿、信長の娘の三の丸殿、前田利家の娘の加賀殿をはじめ、セレブの別妻だけでもぞろぞろいた。

 だが、秀吉の女好きはその程度ではない。イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの「日本史」には、次のような記述がある。

〈聞くところによれば、関白は大坂城内だけで、日本全国の諸侯貴顕の娘たちを三百名も側室としてかかえており、それ以外に第一夫人と認められる人がいる〉

〈彼は政庁内に大身たちの若い娘たちを三百名も留めているのみならず、訪れて行く種々の城に、また別の多数の娘たちを置いていた〉(松田毅一・川崎桃太訳、以下同)

 戦国時代は一夫多妻だが、さすがに妻の数には限界があり、残りは「妾」だったと思われる。いずれにせよ秀吉には何百人もの妾がいたという証言で誇張があっても、当たらずとも遠からず、だろう。兄弟間で差がもっとも激しいのは、女性関係かもしれない。

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