クラシックの名曲「四季」は戦後までほとんど知られていなかった…「ミラノ五輪」演出家が手がけた話題の映画「ヴィヴァルディと私」 ミキエレット監督にインタビュー

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名手そろいだった、孤児院の娘たち

 前置きが長くなったが、映画「ヴィヴァルディと私」である。ここからは、いちはやく試写で鑑賞した、クラシックマニアの映画ライター氏に解説してもらおう。

「この当時、“作曲家”という職業はありません。宮廷や貴族に仕える楽長、あるいはバッハのように教会のカントル(音楽監督)をつとめて、雇い主や信者のために曲を書くのがふつうでした。ヴェネツィア生まれのヴィヴァルディの場合は、神学校を卒業した〈司祭〉が本業です。理髪師の父親がヴァイオリンの名手だったので、彼も幼児期からヴァイオリンを習っており、聖職者のかたわら、貴族のために曲を書いたりしていました」

 17世紀のヴェネツィアは捨て子が多く、大きな慈善孤児院がいくつかあり、いまでいう“赤ちゃんポスト”の役割を担っていた。

「男子は早くから職業訓練を受け、職人となって“卒院”し、社会に出ます。しかし当時の女子に、社会で独立して生きる道はありません。貴族や商人に見染められて結婚するか、修道女にでもならないかぎり、院を出ることは不可能です。よってどこの院も女子だらけでした。そこで彼女たちは、合唱・合奏団を結成し、ミサやコンサートなどで演奏して院の経営を助けていたのです。ヴィヴァルディは、司祭兼音楽教師として、孤児院のひとつ〈ピエタ院〉に奉職します」

 映画のヴィヴァルディは、ここで抜群の腕前をもつヴァイリオン奏者、チェチリアに出会う。生まれてすぐ“赤ちゃんポスト”に捨てられ、親の愛情を知らずにピエタ院で育った娘だ。

「ヴィヴァルディは、彼女をいまでいうコンサート・マスターの地位に任命し、愛弟子として育て、彼女のソロを想定した名曲を次々に書くようになります。この映画では、そのひとつが、有名なオラトリオ《勝利のユディータ》だとの設定になっています。彼は生涯に4曲のオラトリオ(劇的な物語をもつ宗教曲)を書いたとの記録があるのですが、楽譜が残っているのは、この曲だけです。こんな大曲を、孤児院の娘たちが演奏したとは驚きですが、それほどピエタ院の娘たちは、演奏に長けていたのでしょう。もちろん、ヴィヴァルディの曲や指導が抜群だったせいもあります」

 実は、この映画、物語のなかでは、直接に「四季」は登場しない。

「『四季』が出版されたのは、彼がピエタ院を辞し、ヨーロッパ各地をオペラ上演でまわっていた時期なので、すくなくともピエタ院のために作曲された曲ではありません。しかしこの映画では、『四季』の萌芽がピエタ院やチェチリアにあったとの設定が、さりげなく数か所に盛り込まれているのです」

 映画紹介にネタバレは厳禁だが、一箇所だけ、教えてもらおう。

「ピエタ院に着任したヴィヴァルディが、合奏団のレベルを確認しようと、自作のトリオソナタを演奏させます。この演奏をよく聴いてください。高難度の変奏曲で、奏者は、次々と脱落していきます。チェチリアは最後までついてくるのですが、ヤケになって“ある旋律”をアドリブで弾きます。ヴィヴァルディは感心して、自分もそれに合わせて演奏します。このときの旋律が、よく聴くと『四季』の一部なのです。ほかにも、『四季』誕生を思わせるシーンがいくつかあるので、聴き逃さないでください」 

 そうやって師にインスピレーションを与えるチェチリアだが、実はすでに嫁ぎ先が決まっていた。現在のトルコとの戦争が終わり次第、ある将軍の後添えに迎えられることになっているのだ。もちろん、不本意な結婚である。ヴィヴァルディのもとで音楽に専念したいチェチリアは、ある“行為”を実行する……。

「なお、劇中に『四季』が流れないからとガッカリするのは早計です。とりあえず、最後までご覧くださいとだけ、申し上げておきます」

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