宮内庁OBが「一度は泊まってみたい」と口を揃える高級料理旅館とは? リニューアルしてホテルとなった「旧皇族邸」
元職員垂涎
ほかには、京都・吉田山の中腹にある吉田山荘は根強い人気がある。戦後の1948年、旧東伏見宮別邸を高級料理旅館に用途替えしてリニューアルオープンさせたものだ。
吉田山荘の建物は1932年に創建。本館は総桧造りで重厚な外観だ。屋根瓦には皇室ゆかりの「裏菊紋」があしらわれ、南向きの客室からは庭園や吉田山を含めた「東山三十六峰」の眺めを堪能できる構造になっている。また、離れは北山杉を用いた伝統的な数寄屋造りだ。
Googleマップでは「四つ星」。2012年4月に登録有形文化財に認定されたことにも象徴されるように、口コミ欄には「『お屋敷』って感じ」「素晴らしい建物」「落ち着いた雰囲気」「典雅な風情」といった、重厚感のある建築様式への感想が並ぶ。
東伏見宮家は依仁親王が創建した一代限りの宮家。東伏見宮依仁親王は昭和天皇の義弟に当たるほか、2人目の妻は岩倉具定の長女で、大正時代に亡くなっている。跡取りに恵まれなかったために一代限りとはなったが、晩年に久邇宮家の邦英王を養子のようにして手塩にかけた。
恩義を感じた邦英王は自らの意思で皇室を離れ、東伏見の姓を得て東伏見宮家の祭祀を継いでおり、十三門跡寺院の一つで京都にある青蓮院で出家。終戦後の1953年に青蓮院の門主となって「慈洽」という法名を授けられた。東伏見慈洽氏は京都仏教会会長を務め、京都市による古都保存協力税(古都税)の創設方針に徹底抗戦の構えを見せ、多くの寺院の拝観停止や行政訴訟提起などの反対運動を主導したことで話題の人となった。騒動は結局、古都税の廃止によって収束している。
吉田山荘は、宮内庁京都事務所に勤務歴のある元職員らが、退職後に「一度は泊まってみたい」と口にする垂涎の宿としても知られる。あまりにも畏れ多い存在から、国民とともにある存在へと変革した平成・令和の皇室像だが、国民がその皇室をより身近に感じるための入り口として、こうした宿は少なからず役に立っているようだ。



