「すき家」で世界を変えた小川賢太郎氏 原動力は「全共闘と吉野家の挫折」
求心力のあるカリスマ経営者
ジャーナリストの小宮和行氏は言う。
「小川氏は求心力のあるカリスマ経営者。自ら確認し納得するのが原則でした」
店舗で動作の無駄をなくすため、歩く時は1秒に2歩以上など厳格な規律、マニュアルが作られていた。長時間労働や店舗を1人で担う実態が問題となる。
「小川氏の分身同然に猛烈に働く同志の力も得て成功したが、アルバイトにまで理念を共有し行動させるのは難しい。事業が急拡大したひずみが現れた」(小宮氏)
飢餓と貧困の撲滅を目指して
11年には売上高で日本マクドナルドホールディングスを抜き、初の外食首位に。海外展開に加え、ルワンダのコーヒーなどを公正な価格で買い取り、生産者の生活を向上させるフェアトレードにも熱心だった。
19年、「週刊新潮」で佐藤優氏と対談。〈地の果て海の果つるところまで、どこにいても安全な水、安全な食品を食べられるようにしたい〉と語り、飢餓、貧困の撲滅に向け社のさらなる成長を志した。全共闘時代への誠実な総括があったのではと問われ〈一日一日最大限前に進むということで、それは過去にやったことを踏まえてしかできない〉と答えた。
25年、次男の洋平氏に社長を引き継ぐ。東大を卒業し財務省を経て、16年に入社、海外戦略を担っていた。
4月6日、77歳で逝去。 25年3月期決算では、連結売上高が国内の外食産業として初めて1兆円を超える。世界で約1万5000店を構え、すでに売上高で世界の十指に入る。壮大な野望と笑われた世界一への道を着実に歩んできたのだ。
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