「すき家」で世界を変えた小川賢太郎氏 原動力は「全共闘と吉野家の挫折」

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は4月6日に亡くなった小川賢太郎氏を取り上げる。

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過去は隠さず

 牛丼の「すき家」などを展開するゼンショーホールディングスを1982年に創業した小川賢太郎氏は、一代で日本外食業界の頂点に立った。創業以来の理念は「世界から飢餓と貧困を撲滅する」。牛丼とどう関係するのか訝(いぶか)しく思えるが小川氏は真剣だ。それは氏の若き日が影響している。

 何度も取材した「財界」主幹の村田博文氏は言う。

「東京大学で全共闘運動の闘士から一転、成功した起業家です。過去を隠さず熱弁もしなかった。政治的タイプとは違い、日常感じる実際的な問題の変革に関心を寄せ続けた。物事を進めるにはまず理念や哲学、志や世界観が必要だと語る様子が印象に残っています」

 48年、石川県生まれ。都立新宿高校から68年、東大へ。全共闘の運動に加わるが安田講堂は陥落。学生の多くが平穏な日常に戻る中、東大を3年目で中退。横浜港で働きながら今度は労働者の組織化を始めた。

 だが、資本主義の発想でも生産力の発展により世の中を変えられるのではと考え出す。簿記、財務、経営などを会得するため中小企業診断士の資格を取得した。

 食こそ生きる根幹と、78年、吉野家に入社したものの経営が暗転する。銀行との交渉を担うが、小川氏の再建提案は退けられた。

「東大全共闘と吉野家という2回の挫折が、小川氏の原動力に転じた」(村田氏)

「国民食になり得る」

 82年、3人の仲間とゼンショーを創業した。「全勝」「善意の商売」といった意味が社名に込められ、「フード業世界一」と書いた看板を堂々と掲げた。牛丼で革命を起こす心意気だった。

「牛丼がアメリカにおけるハンバーガーに相当する国民食になり得ると見通した。男がかき込むイメージを脱し、家族で楽しめるようにとトッピングを設けサイズを多様化、店を郊外に展開させた」(村田氏)

 すき家は吉野家との差別化で客をつかむが、資金繰りに苦労、最初の100店の開設に11年を要している。

 2000年代に入り株式上場の効果が現れた。ファミリーレストランの「ココス」など外食企業の合併・買収にまい進。人件費を抑え生産性向上を徹底する一方、安全に資金を投じる。原料の調達、購入から製造、物流、販売まで自社で行い、検査組織も設けた。世界で食のインフラ作りを進めた。

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