「中森明菜さんは『少女A』に拒否反応を」 作詞家本人が明かす秘話 「同業者で衝撃を受けたのは桜井和寿さん」

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一行も書けない

 自分の詞のスタイルが完成に近づいていると感じたのは、96年の中谷美紀さんのアルバム「食物連鎖」です。プロデュースと作編曲は坂本龍一さんでした。

 あのとき、アルバム用の5曲の歌詞を書くために、赤坂のキャピトル東急ホテル(当時)にこもりました。かつてビートルズやマイケル・ジャクソンも宿泊した歴史的・伝説的なホテルです。

 ところが、一行も書けない。1週間たっても2週間たっても書けない。しかし突然、チェックインして20日目、ホテル内でエレベータを待っていたときに「悲しい世界を浄(きよ)めるように街角で微笑(わら)って」という一行がふと浮かびました。作品の核となるフレーズでした。僕は延々とこれを待っていたのです。

 1階に降りレストランでペンを借りてメモして、食後数時間で一曲書き上げたことを覚えています。曲名は「Mind Circus」。僕の造語です。「身体の極限まで挑むエンタテインメントがサーカスならば、意識の極北を求めるのがMind Circus」という発想でした。

無意識で使ってしまうほど好きな言葉

 僕には無意識で使ってしまうほど好きな言葉があります。「少年」と「青空」です。坂本さんプロデュースのGEISHA GIRLSの「少年」、矢沢永吉さんの「青空」、坂本さんの「美貌の青空」など曲名にもしました。

 なぜ少年と青空が好きなのかは分かりません。

 一方で、好まない言葉もあります。「したたか」「しなやか」「凜として」。この言葉を使うと知的とかおしゃれかもしれない、という垢抜けなさが嫌いなのです。

 多くの歌詞を書くと、どれくらいが実体験ですかとよく聞かれます。記憶の問題だと思うのですが、全ての歌詞で体験が0%というものはないと思います。数%から20%くらいは体験です。自分がまったく知らないことは書けません。

 84年の東京JAPの曲「摩天楼ブルース」はほぼノンフィクションに近い気がしますね。当時のガールフレンドがほかの人と浮気して、その切なさを描いたわけです。すごく苦しかった。この前後に書いたものにもその影が差しています。切なさを言葉にして救済されたかったのかもしれませんね。「摩天楼ブルース」の主人公はあのまま僕です。

 愛する存在との死別で、詞と現実のギャップも知りました。45歳のときに父親を亡くしました。それまでに体験したことがないほどの深い悲しさでした。それはいまでも癒えません。

 でね、思ったんだね。自分はたくさんの悲しみを詞にしてきたし、数え切れないほどの寂しさを書いてきたけれど、それは表層的だったんじゃないか、と。

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