「中森明菜さんは『少女A』に拒否反応を」 作詞家本人が明かす秘話 「同業者で衝撃を受けたのは桜井和寿さん」
ピュアネスの象徴
彼らの原点はストリート・コーナー。硬派だけど、愛嬌(あいきょう)があって、よく笑い、キュートで、セクシー。音楽シーンのメインストリームにいながら、ちょっと斜に構えているところも魅力です。ジョン・レノンの楽曲に「労働者階級の英雄」があります。ジョン・レノンも自分をブルーカラーの代弁者と捉えていたのだと感じますね。僕も、そんな感性を大切にして詞を書きました。ハリウッド映画でジェイムズ・ディーンが体現してみせた、ピュアネスの象徴としての存在、その系譜です。
明菜さんのシングルは84年の「十戒」まで、チェッカーズは86年の「SONG FOR U.S.A.」まで、ラッツ&スターは、84年の「唇にナイフ」まで、自分の肌に合った作品を、青春のアイコン、ジェイムズ・ディーンの映画を撮るような気分で書いていました。
僕は今でも、明菜さんと藤井フミヤさんは20世紀を代表するポップスターだと思っています。
他人には書けない歌詞
〈80年代中盤から作詞家としてさらに充実。売野はさまざまなシンガーに詞を提供した。これまで紹介したもの以外にも稲垣潤一「夏のクラクション」、河合奈保子「エスカレーション」、菊池桃子「Say Yes!」、吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」、近藤真彦「ケジメなさい」、シブがき隊「喝!」、荻野目洋子「六本木純情派」……などなど。〉
あの頃は1カ月に20~25曲ペースで書いて、曲のバリエーションも豊富になっていきました。明菜さんやフミヤさんには、脳の“不良回路”を使って書き、坂本龍一さんや菊池桃子さんのときには“洗練”の回路です。稲垣潤一さんや杉山清貴さんのときは“シティボーイ”の回路。シブがき隊や沖田浩之さんには、男気とキッチュさを意識した詞も書いています。シンガーによって脳のいろいろな回路を使い分けられるようになりました。
作詞家としての充実期は80年代後半から90年代前半ですが、他人には書けない歌詞を特に意識し始めました。きっかけは、山本達彦さんのディレクターの一言。「ほかの歌手が歌ってないような詞を書いてくれませんか」と言われたのです。
山本達彦さんにしか歌えない詞を最初に意識したのは85年の「夏の愛人」や86年の「神の消えた島」で、それが自分の転機になりました。
言葉への思いが増すと、鋭利なシャープさと詩情を強く意識するようになります。曲名も詞も、単語をさらに選び抜き、推敲の時間も増えました。93年には、東京パフォーマンスドールに「キスは少年を浪費する」を書いています。
あのころは経済人類学者の栗本慎一郎さんの本を毎日読んでいて、そこに“蕩尽(とうじん)”という言葉が使われていたんですね。蕩尽とは“使い果たす”という意味ですが、そのままでは歌の詞にはなりません。それで蕩尽の通俗版として、“浪費”を当てました。
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