「中森明菜さんは『少女A』に拒否反応を」 作詞家本人が明かす秘話 「同業者で衝撃を受けたのは桜井和寿さん」

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中森明菜に感じた「絆のような愛」

 そのレコーディングに僕は立ち会えなかったものの、他の楽曲のときに、一度だけスタジオで明菜さんとお会いしたことがあります。とてもシャイで傷つきやすい感じの繊細な人だなという印象がありました。ほとんどの作詞家がそうだと思いますが、自分の書いた歌詞を歌ってくれる歌手の方に深い愛情を持ちます。僕がそのとき、明菜さんに感じたものは、心の底から自然と湧き上がる絆のような愛だったと思います。

 この「少女A」のヒットで、明菜さんの「声」はもちろん、繊細でちょっと不良っぽい強さを含んだ個性は広く受け入れられて、日本の音楽界を象徴する歌姫としてスターダムに駆け上がりました。中森明菜にしかなれない、中森明菜という特別な存在になったのです。僕にとっても「少女A」は運命の曲でした。

“おしゃれな不良”に共感

〈51年、売野は栃木県で生まれた。織物の街、足利市で少年時代を送っている。おしゃれで遊び人の祖父の影響を強く受けて育った。祖父は若くして妻と死別。36歳のときに24歳の女性と再婚した。2人目の妻は大変な美形。売野の自慢の祖母だったという。祖父は羽振りがよく市内の置屋の向かいに居を構え、快楽主義的な日々を過ごした。

 高校卒業後、東京へ出て上智大学文学部で学んだ売野は、広告代理店などを経て朝日新聞の三行広告に目を留める。〈求む。音楽好きのコピーライター〉というキャッチコピーに応じ、東急エージェンシー・インターナショナル(現フロンテッジ)に入社。CBS・ソニーで扱う主に洋楽アーティストのレコードのコピーで音楽の感覚を磨き作詞家に。〉

「少女A」のヒットは駆け出しの作詞家だった僕の路線も開拓してくれました。

 当時はシャネルズや伊藤銀次さんの詞も書いていましたが、シャネルズの鈴木雅之さんたちは頭がシャープな“おしゃれな不良”というのかな、特別なカッコよさがありました。育った環境は違いますが、祖父の遺伝子を継いだ僕にも彼らと共通するスピリットがあったのでしょう。彼らの気持ちが自分のことのようによく分かりました。

 鈴木さんの実家は東京・大田区の京浜工業地帯の一画にある町工場です。

 また、後々出会うことになるチェッカーズも、アマチュア時代にはシャネルズに憧れドゥ・ワップ(コーラス主体のブラック・ミュージック)っぽい楽曲を好んで歌っていましたね。

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