共産党元幹部の衝撃告白に、新左翼リーダーの「官邸占拠計画」も…週刊誌の「独占手記」が時代を揺るがした理由

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「信頼できない書き手」の手記も登場

 週刊新潮は、政治家の「手記」を、しばしば掲載している。たとえば、創刊年の1956年には、元総理大臣による《吉田茂回顧録》が連載されている。そのほか、1983年には、やはり元総理大臣・岸信介氏の《特別読物 戦後の回想》が、なんと「29ページ」にわたって一挙掲載された。もっともこの手記は、廣済堂出版から刊行される『岸信介回顧録』の一部をいち早く入手し、ダイジェスト掲載したものだが、それにしても、一冊の週刊誌の前半部をほぼ費やして掲載されただけあり、当時、たいへんな話題となったものだ。

 だが、多くの手記のなかでも、やはり“犯罪”がらみは、注目度が高い。なかでも大騒ぎとなったのが、蓮見喜久子さんの《外務省機密漏洩事件 判決と離婚を期して 私の告白》(1974年2月7日号)だ。すでに何度も話題になっている手記なので、詳述は避けるが、要するに、毎日新聞記者が、外務省事務官だった蓮見喜久子さんから「情を通じて」沖縄返還協定にまつわる機密文書を入手したとされる騒動である(この事件をモデルにした小説が、山崎豊子『運命の人』)。蓮見さんも記者も、国家公務員法違反・教唆で有罪となった。さらに当時、「情を通じる」が、いまでいう「不倫」の代名詞のように、ちょっとした流行語になったものだった。手記では「情を通じ」た様相が具体的に告白されており、これまた、TVや新聞では絶対に報道できない、週刊誌ならではの手記だと、話題になった。

 蓮見さんの手記を入手したのは、のちに第四代編集長となる松田宏記者(1940~2018)だが、松田記者は、もうひとつ、たいへんユニークな手記を入手している。「ニセ電話事件」で渦中のひととなった鬼頭史郎氏の《獄中記》(1982年1月14日号)である。

 鬼頭史郎氏(1934~)は、元判事補。ある日、検事総長を装った物まねで、当時の三木首相宅に、「ロッキード事件に関連して中曽根康弘幹事長が逮捕される可能性があるのですが」とニセ電話をかけ、指揮権発動の言質を引き出そうとした、怪人物である。もう世間では、誰も鬼頭氏のいうことを信用していなかったが、マスコミの前に出るたびに、ウソかホントかわからないことをいうので、かえって面白がられ、タレントなみの人気があったのである。

 その鬼頭氏が、今度は官職詐称(軽犯罪法違反)で起訴され、名古屋拘置所に29日間拘留された。その29日間の生活や、ニセ電話事件にまつわる新聞社の対応など、“言いたい放題”を語りまくったのが、この手記である。

「鬼頭さんの出所は、大晦日の深夜でした。拘置所の前には、鬼頭さんが、またなにか面白いことを言うのではないかと、大勢のマスコミが押しかけていたそうです。そこへ、以前より交流があった松田デスクが“救援”に駆けつけ、鬼頭さんをキャッチし、大晦日から元日にかけてインタビューして徹夜でまとめたのが、この《獄中記》です」(週刊新潮OB氏)

 だが、鬼頭氏は、この手記で、

〈ここで初めて事件の真相を明らかにするが、「ニセ電話事件」は、現職検事と新聞記者が結託して引き起こした事件なのである。(略)三木氏が、検察の最高首脳と何やら相談をしているという情報が流れれば、三木氏に対して、ニセ電話の一つや二つかけてみたい、と思う者が出て来ても、ちっとも不思議でない状況にあったといえる。〉

 と、この期におよんで、まだ“珍説”を繰り広げている。つまりこれは、本来の「真実を告白する」手記ではなく、文学でいう「信頼できない書き手」を楽しむような手記だったのである。

 さて、そんな数々の手記を掲載してきた週刊新潮だが、あとにも先にも、これほど読者を驚かせた手記はない。なんと、逮捕歴のある元過激派幹部による、「首相官邸占拠」計画が、堂々と掲載されたのである。

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