身代金の受け渡し場所に突然の大型トラック…「誘拐犯」として轢死した「ハニカミ屋の男」、元上司が語った“目に見える変化”とは

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「グリコ森永事件」を一部模倣

 1985年3月8日早朝、兵庫県芦屋市の会社員宅に男が侵入した。会社員の妻に薬を嗅がせた男は、脇にいた6歳の次男を連れ去る。要求した身代金は5000万円。受け渡しに向かった会社員に次々と指示を出し、移動させるという手口は、この年の前年から始まった「グリコ森永事件」を一部模倣したものといわれている。

「グリコ森永事件」に触発され、80年代半ばは誘拐事件が相次いだ。この芦屋幼児誘拐事件もその1つである。管轄した兵庫県警は「グリコ森永」での失態を繰り返すわけにはいかなかった。だが、事件は身代金受け渡し現場で犯人が事故死という衝撃の結末を迎えてしまう――。「週刊新潮」のバックナンバーで事件の経緯を振り返る。

(全2回の第1回:以下「週刊新潮」1985年3月10日号掲載記事を再編集・加筆しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです)

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オットリした真面目なタイプ

 3月10日の日曜日、あるホテルで1組のカップルが誕生した。披露宴には両家の親戚や知人など70名近くが出席して、なかなかの盛会だったが、「沈んだ気まずい雰囲気の中で行われるんじゃないか」と心配していた出席者もいた。

「司会者の方や仲人の方が事件について触れることはまったくありませんでしたし、私の席のまわりでも特に話題には出ませんでした。お友達が歌を歌ったりして賑やかでしたよ。事件のことは、前の日のニュースでみんな知ってましたが、このことと結婚式は別だからということで、両方の家とも了解が出来ていたようです」

 本来なら、新郎一家の三男A(26)もこの祝いの席に出席するはずだったが、前日の9日、誘拐犯という不名誉な形で、しかも死者として、参会者たちにあらかじめ名前を知られることになってしまったのだ。

 Aは岡山で生まれた。父親は真面目で仕事好きと、近所でも評判だった。2人の兄もおとなしくて真面目、そしてAもおとなしい子だといわれていた。

 地元の中学から工業高校に進むが、ここでも「無口で目立たない生徒。成績もまあまあの中程度」だったという。卒業後、大阪で就職するが、日夜の交代勤務にイヤ気がさして退職。在社中は欠勤もなく、やはり「オットリした真面目なタイプ」で通っていた。

帰ってくるたびに目がきつくなって

 その後、地元で家業の手伝いをしながらクレーン車や大型自動車の免許を取り、1983(昭和58)年から大手運送会社の営業所に就職。中学時代からのカメラ仲間と遊んだり、300万円もする乗用車をわざわざ東京から買ってきて、松田聖子のテープを流しながら乗り回したりと、多少、生活が派手になった。

 が、普通に仕事をしていれば、月収は平均45、6万円の職場だったというから、決して背伸びした生活を送っていたわけではない。相変わらず勤務態度は真面目だったし、

「ハニカミ屋でね、彼女もおらんかったし、飲みに行くのも、よう1人で行かんかった」

 と、元の上司はいう。変わったのは、1984(昭和59)年1月に営業所を辞めて、ふたたび大阪に出てからだった。

「辞めてから4、5回、うちに来ましたが、なんか、帰ってくるたびに目がきつくなって、この1年、怖いような顔になっていた」

 大阪でも、同じ運送会社でアルバイトなどをしていたこともあったが、地元方面に職探しに行ってみたり、もはや堅実な生活を送っている様子はなかった。

 一方、兵庫県芦屋市に住むBさんは30代のエリート会社員である。Aとの接点が生じたのは、今月8日の午前4時過ぎのことだった。Bさん宅に忍び込んだAがBさんの妻にエーテルのようなものをかがせて、次男のCちゃん(6)を拉致して行ったのだ。隣室で寝ていたBさんは、妻の叫び声を聞いてあとを追ったが、自動車ナンバーの一部を見届けるのがやっとだった。

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