人類の夢「不老不死」 まずは“その日”まで何とか生き延びよう(古市憲寿)

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 神と魔族が手を組んで千年にわたって海をかき混ぜ続けた、という不思議なインド神話がある。題して乳海攪拌(かくはん)。目的は不老不死の薬を手に入れることだった。千年も作業を続けてまで欲しいものが不老不死というのは興味深い。人間からすれば、もう千年が途方もない期間だ。神々でさえ渇望するのが不老不死ということらしい。カンボジアのアンコール・ワットではこの神話が巨大レリーフで再現されている。

 ギルガメシュ叙事詩から竹取物語まで、古今東西の昔話には、しばしば不老不死や若返りの薬が登場する。古くから人類の夢だったのだろう。

 考えてみれば、有史以来人類は多くの夢をかなえてきた。飛行機やドローンを使って、空を自由に飛べるようになった。スマートフォンとインターネットはほぼ千里眼のようなもの。AIとロボットの組み合わせはゴーレム。昔の人からすれば魔法が実現したような社会をわれわれは生きる。だが不老不死だけは今もなお難しい。美容と医療の力を結集しても、アンチエイジングが関の山。公衆衛生の改善などで平均寿命は延びたが、不死というにはほど遠い。失った手足や歯の再生さえ難しい。

 今後も不老不死は無理なのか。近未来で最もありそうなのは、健康寿命が100歳前後になること。寿命を200歳にするよりは、よっぽど簡単らしい。鍵は糖尿病薬。メトホルミンやSGLT2阻害薬などの糖尿病治療で用いられる薬に、どうやら老化を遅らせる効果がありそうなことが分かってきたのだ。健康な人まで飲んでいいのかは研究と議論が続いているが、完全な新薬と違ってすでに世界中で使われている薬なので、使用のハードルはそれほど高くない。

 こうした対策が進むとどうなるか。80代くらいまでは(今の)50~60代の体調で過ごし、100歳まで自立して生きる、という時代が訪れる。さすがに不老不死とはいえないが、健康寿命が延びるのは喜ぶべきことだ。

 さらにジェフ・ベゾスなどの起業家は、細胞自体の若返りを目指す。皮膚も血管も臓器も、細胞を初期化することで若返りが可能だという発想である。まずは皮膚の研究が進んでいて、マウスを使った実験では、傷ついた皮膚の再生速度が向上したという。

 最大の関心事は「いつから」だと思う。要は、自分が間に合うかどうか。恐らく実用化には10年から20年はかかる。この期間は、薬や生活習慣の改善など今ある手法で乗り切らないとならない。ちなみに冒頭の乳海攪拌では、「首から上だけ不老不死」になってしまった悪魔が登場する。せっかくの不老不死も中途半端ではもったいない。そういえば今でも首から上のアンチエイジングだけは熱心なのに、首から下のファッションにはまるで無頓着という人がいますよね。

 夢のような技術で若返りの恩恵を受けるためにも、まずはその日まで何とか生き延びましょう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2026年3月19日号掲載

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