自分の肉体で人体実験をして「不老不死」に挑んだ女性 気になるそのリスクと現在

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 前編では、細胞内のテロメアという物質の長さが寿命に直結するというところまで述べた。

 テロメアは、遺伝子(DNA)の端っこについている留め具のようなもので、細胞の寿命を決める重大な要素になっているものである。

 人間の正常な細胞は一定の回数、分裂すると死んでしまうのだが、この現象はテロメアによって引き起こされるからだ。
 
 細胞が分裂するたびにテロメアは少しずつ短くなっていき、あまりに短くなるとDNAの働きが損なわれる。そうなる前に細胞は非常ブレーキをかけて分裂をやめるので、結果としてテロメアの短縮が細胞を死に至らせることになる。

 実験では、テロメアを長くしたマウスが普通のマウスよりも長生きしたことは確認されている。

「では、このテロメアを延ばせば細胞は死ぬことがなく、私たちは永遠に生き続けられるのではないか?」
 
 そのように考えて自分の体でテロメアの延長に挑戦した女性がいる。分子生物学者、ニクラス・ブレンボー氏の著書『寿命ハック―死なない細胞、老いない身体―』をもとにその挑戦を見てみよう。(以下、同書より引用)

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大胆な遺伝子治療

 2015年に、ひとりのアメリカ人女性が延命革命を起こすという希望を抱いてコロンビアへ向かった。エリザベス・パリッシュというその女性は、クレイジーな科学者でも変わり者の金持ちでもない。郊外に暮らす平均的な母親である。

 パリッシュはボランティアで幹細胞の研究に関わるうちに、テロメラーゼ(テロメアを作る酵素)の威力を知った。科学者に見せてもらった長いテロメアを持つマウスは年をとってもケージの中をエネルギッシュに走り回っていた。一方、同じ年齢の普通のマウスは老け込んで弱くなりケージの隅でじっとしていた。

 パリッシュはこの魔法を人間に応用したいと思ったが、それは容易でないことを知った。

 科学者たちはテロメラーゼを活性化する薬を作ろうとしてきたが、わかったのは、それが非常に難しいということだけだった。そこでパリッシュは遺伝子治療を受けることにした。最新の医療技術によって人間の細胞に特別な遺伝子を加えるのだ。言うなれば、予備の部品を追加するようなもので、この場合、追加する部品は、活発に働くテロメラーゼ遺伝子である。
 
 もっとも、彼女がコロンビアに向かったのは、コロンビアでテロメア伸長が普及していたからではなく、アメリカ食品医薬品局(FDA)から逃れるためだった。

 彼女は最初の実験台になることを望んだが、米国も他の先進国も、たとえ自分の体に対してであっても、その種の医療を行うことを厳しく制限していた。彼女が思いついた遺伝子治療が許されるはずがなかった。

 しかし、コロンビアでは協力してくれるクリニックが見つかった。最初に、この実験に協力してくれる科学者が彼女のテロメアの長さを測った。治療の効果がわかるようにするためだ。すると彼女のテロメアは年齢から期待されるより、かなり短いことがわかった。実験台としてはそう悪くない。

 彼女は注射による遺伝子治療を受け、深刻な副作用が起きないか、少々観察した後に自国に戻った。翌年、結果を調べる時期が訪れ、協力者は再び彼女のテロメアの長さを測った。結果は良好だった。どうやら彼女はテロメア伸長に成功した最初の人間になったようだ。

 この自己実験に科学界は騒然となった。

 賛成派は、この実験は科学者に貴重なデータを提供する、と歓迎した。一方、反対派は、危険で無謀でさえあり、社会に悪影響を及ぼすと批判した。パリッシュは自らの立場を弁護し、こう言ったとされる。
 
「米国政府の承認を得て、遺伝子治療を受けられるようにするには……10億ドル近くを用意しなければならないでしょう。検証には15年ほどかかるでしょう。けれども周囲を見回すと、15年も待つのは嫌だという人々がいるのです」

なぜ私たちは今すぐ不老不死になれないのか

 一歩下がって考えてみよう。このような自己実験が安全かどうかは確かに議論すべきだ。しかし、最も重要な問いは、仮にうまくいったとして、やる価値があるかどうかということだ。

 わたしたちの細胞はすべてテロメラーゼを伸ばす遺伝子を持っている。しかし人生の早い段階で細胞はその遺伝子のスイッチを切り、そのままにしておく。もし長寿の秘訣がテロメラーゼにあるのなら、なぜ、細胞は遺伝子を再びオンにして使わないのだろうか。

 理由は残酷な取引にある。テロメラーゼが細胞を不死にするのは事実だ。しかし、その一方でテロメラーゼ遺伝子はガンの進行を促進する。人間のガンの80~90パーセントは、テロメラーゼ遺伝子のスイッチを入れる方法を見つける。

 そうでないものも、他の方法でテロメアを伸ばす。そうしなければならないのだ。なぜなら、絶えずテロメアを伸ばし続けなければ、ガン細胞は正常な細胞と同じようにいずれ死んでしまうからだ。

 もっとも、パリッシュのようなテロメア伸長の擁護者は、自分の細胞を不死にしようとしているわけではない。

 彼女らが願うのは一時的にテロメラーゼのスイッチを入れてテロメアをわずかに伸ばすことであって、細胞がガン化するほど伸ばすことではない。だが、この二つを切り離せるかどうかはわかっていない。
 
 研究によって、テロメアが平均より長い人はガンになるリスクが高いことが示唆されており、テロメアに手を出すのは危険だと思われる。いつの日かガンを制御できるようになったら賭けに出てもいいだろう。だがそうなるまで、わたしはやめておく。おそらく自然はすでに老化とガンのトレードオフを考慮し、それに合わせてテロメアの長さを決めているのだから。

 加えて、テロメアの研究には別の問題もある。それは、研究の大半がマウスをモデル生物にしていることだ。

 コストと扱いやすさの点から、マウスは人間のモデルにするのに最適だが、テロメアに関しては望ましいモデル生物ではない。マウスのテロメアは人間とは非常に異なる。マウスはすべての細胞でテロメラーゼが活性化しており、また、人間よりはるかに長いテロメアを持って生まれる。もしテロメアが唯一の若さの源であれば、マウスは人間よりはるかに長生きするだろう。だが、そうではない。マウスはほんの数年しか生きられず、高い確率でガンに侵される。

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 幸いなことに、パリッシュは今なお健在なようで、元気にインスタを更新し、若々しい姿を見せている。彼女の実験は継続中なのだ。

デイリー新潮編集部

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