ついに“完全引退”か…「都はるみ(77)」個人事務所が解散していた 最後の芸能活動から10年、「矢崎滋」と“通い婚”報道も

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4年で終わった結婚生活

 都はるみは1978年、29歳の時に最初の結婚をしている。夫は同じレコード会社「日本コロムビア」に所属していた歌手で、後に実業家、作曲家になった朝月広臣氏。デビュー程なく交際を始め、同棲するなど内縁状態でいたものの、周囲の反対によってなかなか結婚を許されず。前年に都がレコード大賞を受賞し、ようやく入籍が認められたのである。

「北の宿から」の大ヒットでようやく結婚がかなった彼女だったが、皮肉にもこの曲のために、スケジュールは殺人的なものとなる。地方公演は年間150回ほどに上り、早くも夫婦の間にすれ違いが生じた。ちょうど夫も会社をやめて銀座にテーラーを開くなど、生活が変化する。2人の関係はますます冷え込み、結局、1982年、都はわずか4年で結婚生活に終止符を打った。

 そんな都の心に入り込んだのが、「日本コロムビア」のディレクター中村一好、通称「イッコウ」氏である。中村氏が彼女の担当となったのは、都が結婚した年。楽曲制作とそのセールスを通じて、都は中村に全幅の信頼を置くようになり、また、惹かれていった。中村も彼女の気持ちに応えたが、中村は妻子ある身。「不倫の恋」「略奪愛」である。2人の関係はやがてマスコミが知るところになり、世間からはバッシングが相次いだ。が、2人は頑なに意志を貫き、内縁関係となる。そして都は中村の子どもが産みたいと引退を決意した。1984年のことである。

プロデュース業に進出

 同年の紅白歌合戦をもって、都は引退。以後はプロデュース業を務めることを望んだ。中村氏も尽力することになり、「日本コロムビア」を退社。1988年、自身が社長となって設立したのが、前出の「プロデュースハウス都」である。2人はここでオーディションの開催や、歌手のデビューに携わった。

 しかし、1989年、目標と仰いでいた美空ひばりが死去。また都は、子宮筋腫が悪化し、出産が難しくなった。その年の紅白に出演したことをきっかけに、活動再開を決意。以降、同社を舞台に都は歌手として歌い続けるのである。

本名「北村春美」として…

 中村と二人三脚を続けた都。が、中村の妻は当然ながら離婚に同意せず、内縁の関係が続いた。そしてデビュー45周年を迎えた2008年、突如、悲劇が襲う。4月、中村氏が、都と暮らしていた自宅で自死を遂げたのだ。遺書はなく、原因は不明。ただ、友人とのアポを連絡なしにすっぽかすなど異変は見られていたという。最大のパートナーを失った都はその後も活動を続けるが、喉頭炎や気管支炎で入院するなど、徐々に声が衰えを見せ、前述のように、2015年、歌手活動を休止するに至るのだ。

 中村氏の死後、「プロデュースハウス都」は都の実妹を社長に据えて続いていたが、昨年8月、こちらもついに閉鎖となったのである。

 先のジャーナリストは言う。

「引退状態にあるとは言っても、事務所が残っていれば、また表に出る機会はゼロではないと思っていました。歌はともかく、テレビやラジオに出る、新聞や雑誌のインタビューに 応えるくらいなら……と。しかし、自分を導いてくれた“夫”との思い出の会社も閉めたとなれば、もうそれもないでしょう。既に令和の世ですが、戦後の歌謡史のひとつの時代が終わったような気がします」

 この2月22日に、都はるみは78歳の誕生日を迎える。世間的には「終活」を始めても不思議ではない年齢だ。このまま「都はるみ」であることをやめ、本名の「北村春美」として、静かな余生を全うしそう。しかし、その残した歌は人々の記憶から消えることはないだろう。

 関連記事「内縁夫の死去から7年! 孤独の中の『都はるみ』が完全引退!?」では、2015年、コンサート休止宣言当時の都はるみの状況について報じている。中村氏の死から7年、彼女の身に何が起こっていたのか――。

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