惨敗の時はいつも「安住淳」氏が傍に…「野田佳彦」元首相が敗北を繰り返す“根本的な理由” 党関係者は「今後は表に出ず、落選した同志の救済にまわって欲しい」
2012年の総選挙での「民主党」惨敗から14年。再び野党第一党を壊滅的な敗北に追い込んだ野田佳彦氏(68)。その決定的な勝負勘の欠如の原点はどこにあるのか。【前編】では、今総選挙の敗北の要因と、「永田偽メール事件」を引き起こすまでの野田氏の来し方について記した。【後編】ではその後の野田氏の敗北の歴史を詳述する。2012年、民主党を政権から転落させた解散判断のどこが間違っていたのか。そしてその時、彼の傍にいたお馴染みの人物とは――。
【前後編の後編】
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「近いうち」がズルズルと
2009年、民主党は政権交代を果たした。野田氏も財務副大臣に就任したが、鳩山由紀夫⇒菅直人と首相が代わる中で、政権運営は迷走、不祥事も相次ぎ政権支持率は低迷する。財務大臣に昇格していた野田氏は、菅氏が東日本大震災対応の混乱などの責任を取って辞任した後、代表選に出馬。見事当選し、総理に就任した。代表選で自らを「どじょう」に譬えた演説はおおいに話題となった。
政権発足後も支持率が低迷する中、野田首相が政治生命をかけたのは「消費税10%への増税」である。野党であった自民党、公明党と手を結び、増税法案の成立へと突き進む。反発した小沢一郎氏らが集団で離党し、ますます政権基盤は弱まったが、2012年8月、「近いうちの解散」を条件に、自公と合意して同法案を成立させたのだ。
問題はこの後、である。野田氏をよく知るベテラン党関係者は言う。
「当然、『近いうち』の時期が焦点になった。野田さんは早期の解散も視野に入れていましたが、当時、民主党の支持率は低迷し、解散したら確実に選挙で敗れる状況だったため、党内からは異論が続出した。それに押されて、野田さんは決断できず、ズルズル時期を引き延ばしてしまったんです」
解散表明にヒロイックになり
約束を破られた自公両党は、「首相は嘘つきだ」と攻撃を強める。混乱が続く間、世論はどんどん離れていき、10月にはまだ34%あった支持率が、11月には19%(いずれも読売新聞の調査)まで低下した。
「完全に機会を逸した野田さんは、11月14日、安倍(晋三)自民党総裁(当時)との党首討論の場で解散を宣言するという奇策に出ました。負けは確実でしたが、これ以上機を逃すと、国政進出の準備を進めていた橋下徹氏率いる『日本維新の会』に、第二党の座すら奪われる可能性があった。追い込まれての決断でした」
党首討論での解散表明は前代未聞のことだった。
「野田さんら幹部たちは、この表明に“ヒロイック”になっていた。これで事態が好転すると本気で考えていた節がある。実際、直後に支持率は少し上がったのですが、“効果”は微増に留まりました」
そして12月の総選挙では大敗を喫し、230議席から57議席と大幅に党勢を退潮させた。
「8月の増税法案成立直後なら、まだ“負け幅”は少なかったはず。あるいは、どれだけ自公から罵倒されても耐え、政治改革関連の法案を成立させて翌年の参院選の時に同日選挙を仕掛けるという選択肢もありました。しかし、野田さんは連日、嘘つきと攻撃されることにナーバスになっていました。その末の“自爆解散”でした」
ちなみに、この時の民主党の幹事長は輿石東氏だったが、参議院議員であったため、選挙を実質的に仕切ったのは、幹事長代行だった安住淳氏。今総選挙での「中道改革連合」も、野田共同代表に安住共同幹事長――。まさに「歴史は繰り返す」のである。
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