惨敗の時はいつも「安住淳」氏が傍に…「野田佳彦」元首相が敗北を繰り返す“根本的な理由” 党関係者は「今後は表に出ず、落選した同志の救済にまわって欲しい」

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都議選で大チャンスを逃す

 こうして政権交代をわずか3年でフイにしてしまった野田氏だが、その後も敗北の歴史は続く。失権していた野田氏が、再び表舞台に立ったのは2016年のこと。当時、民主党は維新の党と合併して「民進党」となっていたが、この年、代表に蓮舫氏が就任。彼女のたっての希望で、野田氏は幹事長に就任した。

 新体制発足後、森友問題や加計問題などの疑惑が噴出し、安倍政権は危機に陥った。野党第一党の民進党にとっては、党勢拡大の大きなチャンスであった。しかし、「蓮舫-野田」執行部が有効な手立てを講じられない中、代わって政局の目玉となったのが小池百合子都知事である。2017年6月の都議選で、率いる「都民ファースト」が大躍進。その風に煽られた民進党は7議席から5議席へと議席を減らした。

「知られていませんが、この時も、野田さんは大チャンスを逃しています」

 と関係者が続ける。

「都知事選の前、都民ファの代表と、野田さんの極秘会談がセットされた。躍進が確実視されていた都民ファと民進党の都連が連携し、自民党を打倒しようという話し合いの場でした。しかし、その日、野田さんは約束の場に現れず、代わりに馬淵選対委員長と、事務局トップを寄越した。当然、話し合いは進みませんでした。野田さんにしてみれば、“地域政党に過ぎない都民ファに迎合することは出来ない”“大が小に飲み込まれることに抵抗感があった”ということなのでしょう。しかし、結果は見るも無残。都民ファ側は後に“(野田氏は)本当に馬鹿ですね”と漏らしていた。“民進党を助けようと思っていたのに”と」

 敗戦の責任をとって、蓮舫、野田両氏は辞任。またも重要な局面で野田氏の「勝負勘のなさ」が露呈してしまったのだ。

若手が育たない

 こうして3度、党を危機に陥れた野田氏。通例なら、二度と権力の座には就けないはずだが、2024年にはまた「立憲民主党」のトップに付いた。

「旧民主党時代の幹部がいつまでも“上”に居座り、若手が育っていなかった。また、その2年前に射殺された安倍(晋三)元首相の国会での追悼演説を行って高い評価を得たこともあり、『野田待望論』が沸き起こったのです」

 そしてその年に行われた衆院選では50議席を増やし、石破(茂)政権を過半数割れに追い込んだ。次いでその翌年行われた参院選でも議席を維持し、こちらでも自民党を過半数割れに追い込む。ここまでの野田代表の評価は、決して低いものではなかった。しかし、それが「裏金問題」と、石破総理の不人気ゆえの“敵失”のおかげであることは明らか。自民党が高市氏を「新しい顔」に選ぶと、形勢は一気に暗転。先の選挙で、これまでの成果を無にする大惨敗を喫したのである。

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