「“小田厚”は反則キップの“狩り場”として有名」…神奈川県警が2700件の「交通違反取り締まり不正」でドライバーたちの“恨み節”
「どうりで厳しいと思った」と感じた人は少なくないはずだ。神奈川県警の第2交通機動隊が“小田厚(おだあつ)”こと小田原厚木道路の交通違反の取り締まりで大規模な不正を行っていたことが発覚したのだ。
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小田厚とは神奈川県小田原市と東名高速の厚木インターチェンジをつなぐ高架の4車線道路で、中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理する自動車専用の有料道路だ。厚木インターから乗り換えた人は高速道路が続いていると思うかもしれない。しかし、制限速度が時速70キロのため、白バイや覆面パトカーによる格好の取り締まり場所として有名だった。そんな小田厚で警察の不正である。
2月14日付の読売新聞によると、神奈川県警は第2交通機動隊の第2中隊・第4小隊に所属する警官らが2022年から24年にかけて行った交通違反の取り締まりに疑義が生じたとして、約2700件の違反を取り消した。違反点数の取り消しや3000万円超とみられる交通反則金の返還手続きも進めるという。
SNSにはこんな声が上がっている。
《小田厚で笑った、あの道多いって聞いてたけどそういうことだったんかな》
《小田厚は、神奈川県警の狩場だからねぇ。左車線を、制限速度+10kmで走るのが安全安心だし、バックミラーやサイドミラーをたまにチェックして、怪しいクラウンやインプレッサーや白色のCB1300とかがいないか、目を光らせながら運転するとこだよ》
《長らく西湘民から恐れられていた小田厚の厳しい取り締まりもこれで終わりか 神奈川県警は反省しろよ》
かつて小田厚で捕まったことがあるというライダーは悔しげに言う。
小田厚を作った人
「大磯パーキングエリアの出口に白バイが待機していたようなんだけど、バックミラーの死角に隠れていて見えなかった。サイレンが鳴った時にはもう遅かった……」
ちなみに、このライダー氏は時速70キロオーバーの“赤キップ”だったそうなので論外である。けれども、小田厚は自動車専用道でありながらパーキングエリアまである。なぜ高速道路のような一般道ができたのだろう。社会部記者は言う。
「小田厚の建設を進めたのは、自民党の衆議院議員で元デジタル大臣の河野太郎氏の祖父・河野一郎氏でした。1962年、池田勇人内閣の建設大臣(現・国土交通大臣)に就任した河野氏は、東京五輪に向けた道路整備に辣腕を振るいました。その一方で、東名高速のルートを地元の小田原に通そうとしていたようです」
当時、日本道路公団の副総裁だった富樫凱一氏は、後にこう語っている。日本道路協会が1997年に発行した「日本道路公団五十年史」から引用する。
富樫:難しいことをいわれたな。(中略)高速のルートの問題で、河野さんは自分の方へ持ってきたかったけれども、僕の方は、それでは道路の形として意味がなくなると考えて、承知しなかったわけです。
言うまでもないが、東名高速は小田原ではなく御殿場を通るルートとなった。この一件で河野氏の不興を買った富樫氏は道路公団副総裁のポストを降りることになったが、それでも河野氏は諦めなかった。
《河野建設相は七日の閣議のあと、院内で池田首相、田中蔵相と会い、「最近しばしばマヒ状態を呈している東海道の交通緩和の具体策として、都心から、湘南地方を避け、東海道へ抜ける新しいバイパス(自動車道路)を建設する必要がある」と延べ、池田首相の了解を得た。建設相は直ちに事務当局に対し、この新自動車道路計画を実施に移すよう指示した》(朝日新聞:1962年8月7日)
記事のタイトルには「東海道新バイパス」とあるが、“交通緩和の具体策”として生まれたのが小田厚だったのだ。だが、時を同じくしてこんな記事もある。
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