長すぎる髪の少女、聞きなれない異国の声…昼夜を問わず“怪異”が押し寄せる60歳男性が明かす体験集【川奈まり子の百物語】

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事件の匂い

 右手をだらりと下げて、手の甲を地面につけている。その手に開いた携帯電話を力なく持っているのだった。

 液晶画面が点灯していないところを見ると、少なくとも数分間はその状態でじっとしていたのだと推察できた。

 事件の匂いがすると彼は思った。

 この女性の身には何か大変なことが起きたのに違いない。

 助けなければ……と、彼は歩を速めたのだが。

 その足は、3メートル手前でピタリと止まってしまった。

 なぜなら、座り込んでいる彼女の周りを取り囲むように直径1メートルあまりの円を描いて、何かの液体が地面に広がっていたからだ。

横顔

 まるでコンパスで引いたかのような真ん丸な円形の液体の上に座っているのである。

 どう見ても完全な正円を形づくっている。エッジにも乱れが一切ないようだ。

 街灯から離れており、薄暗い中では液体は真っ黒に見え、底知れない穴を満たしているようでもあった。

 いつでも走って逃げだせる心構えで、ゆっくりとそばに寄って行って、1メートルを切りそうな至近距離で、腰を屈めて女の横顔をまじまじと覗き込んでみた。

 顔は、長い髪の陰に完全に隠れてしまっていた。

 ……それとも、玉ねぎの皮を剥くような感じで、髪をどけてもどけても、中からまた髪が出てくるのかもしれなかった。

 それに、微動だにしない。

 タケダさんは急に恐ろしくなってきて、小走りにその場から逃れた。

 20メートルほど離れたところで振り返ってみたら、それは微塵も動いた気配がなく、先ほどと同じ姿勢を保っていた。

幽霊だ

 帰宅してから、彼は家族にこのことを話して、

「あまりにもはっきり見えたから、あの女性は人間やったかもしれん」と言った。

 しかし家族は口を揃えて「幽霊っていうんは、はっきり視えるもんや」と彼に応えた。

 だから、やっぱりあれは幽霊だったのだと彼は思うようになったとのこと。

 正円の液体に漬かって座っていた長い髪の女の話を、タケダさんは家族以外の2~3の人にも話してみた。

 そのうち一人は、いつも髪を整えてもらっている女性の美容師だった。

「へえ。怖いですねぇ」と、彼女は感心したそぶりを見せて、

「長すぎる髪と言えば……」と言って、こんな話を聞かせてくれた。

 美容師の彼女は、その日、営業時間後に仕事場でヘアカットの試作に励み、すっかり帰りが遅くなってしまった。

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