「愛子天皇論」の裏にある“不敬”の正体 皇位継承議論、衆院選で見えた「中道」の曖昧さ

国内 社会

  • ブックマーク

「立皇嗣の礼」を疑問視する神道学者の理屈

 神道学者を名乗る高森明勅氏は令和7(2025)年4月、「結局『愛子天皇』しかない」などという見出しで雑誌の電子版に記事を書き、「秋篠宮さまは悠仁天皇を望んでおられない」と説いた。「皇族の役割において男性皇族、女性皇族の区別はないと記者会見で述べられた」「皇位継承は本来、『直系』によるべきであるとお考えである」とその根拠を挙げた。しかし、前者は「ご公務」についての質問に対するご回答だ。後者は「皇位継承に次男が口出しすべきものではないと自覚されている」という本の記述を引用し、「皇位継承は直系によるべきとのお考えである」と勝手に解釈したものだ。こういうのを「曲解」と言う。

 その高森氏は令和2(2020)年11月に秋篠宮さまの「立皇嗣の礼」が行われた際、一部の新聞に「皇嗣は皇太子や皇太孫と異なり、必ずしも次の天皇になることが確定していない」とコメントした。皇嗣とは「皇位を嗣(つ)ぐ」ことであり、紛れもなく皇位継承順位第1位のことである。天皇の弟にあたる方を「皇太弟(こうたいてい)」と言うが、現在の皇室典範にはその規定がないため、秋篠宮さまの身位が「皇嗣」となった経緯がある。「立皇嗣の礼」は皇太子の「立太子の礼」と本質的に変わることはない。だから「天皇の国事行為」として、陛下が次の天皇が秋篠宮さまであることを公式に宣言されたのだ。

 高森氏は当時、マスコミのインタビューに対し、「秋篠宮殿下の場合、天皇陛下より5歳お若いだけなので、将来、陛下がご高齢を理由に退位された後、実際に即位されるとは考えにくい」と語っている。勝手に陛下の「ご退位(譲位)」を前提にし、しかも「考えにくい」という主観で語っている。法制度の問題を個人の思いや期待で語るのはおかしい。

 そんな高森氏が「講師」として立憲民主党の勉強会に呼ばれていたというのだから驚きだ。

悠仁さまの「トンボの和歌」を極評する宗教学者の論理

 今年1月14日の「歌会始」で、悠仁さまが成年皇族として初めて御歌(みうた)を詠まれた。「薄明かり黄昏とんぼは橋のうへ 青くつきりと俊敏に飛ぶ」。この歌について宮内庁御用掛で歌人の永田和宏氏は「初めての御歌とは思えないほど完成度が高く、驚きました」(週刊文春)と評した。

 しかし、宗教学者の島田裕巳氏の見方は違った。直後の「PRESIDENT Online」で悠仁さまの題材の「トンボ」と愛子さまが詠まれた「(ラオス訪問時の)子どもたち」を比較。悠仁さまについて「トンボや昆虫に関心が向くあまり、人に対する関心が薄れていくかもしれない。国民という人間に対する関心がなければ、その務めをまっとうすることができない」と批判したのだ。さらには「歌には人間性が表れる」とし、「愛子天皇論」を持ち上げた。あまりの論理の飛躍に驚く。島田氏の“秋篠宮家下げ”は有名だが、これでは為にする批判と言われても仕方がない。島田氏はオウム真理教事件に関し、警察の強制捜査を批判して問題になったことがあるが、皇位継承問題についても、独特の極端な主張が目立つ。著書『天皇と憲法』(2016年刊)では「憲法を改正して大統領制を導入し、天皇や皇室のことは憲法から外すという選択肢しか見出せない」と書いている。

 これに対し、獨協医科大の教授(精神医学)の井原裕氏の見解には救われる。井原氏は昨年3月、「Wedge ONLINE」で、トンボの研究について「帝王学のテーマとしてはやや異色である」としつつも、「環境問題というグローバルな課題に直結する」と評価。「各論として、トンボ種の生態学的研究を行いつつ、総論として環境保全に関する理論と実践を学ぶことが可能」だとして、学問としての将来性を認め、そうした悠仁さま個別の研究課題の探求が「将来の皇室外交の礎となるものを築くことになる」と期待した。

次ページ:「愛子さまは心を痛めておられる」

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[2/5ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。