高田漣、就職氷河期で「ひとまず音楽を仕事に」 父は激怒の電話1時間半も…最後は「まあ頑張れや」
母に送った小説
2025年6月、「街の彼方の空遠く」(河出書房新社)を出版した。他にも雑誌連載コラムを書籍化した著書などはあるが、小説としてはデビュー作となる。「息子は物書きになる」と思っていた母の思いが実現した。
「もともと父方の祖父が詩人であり、母方の伯父の影響もあって本は好きでした。歌にしようと思ったものが歌にならずに頓挫したままストックされていて。いつかそれを物語として書き換えられたら、という思いは漠然とありました。自分の準備ができていなかったんですが、コロナ禍で時間ができて書き始めたんです。ストックを読み返していたところ、成蹊大学の宮脇俊文先生に武蔵野発の文学雑誌を作るから書いてほしいと言われまして。その『ケヤキブンガク』で連載したものと、書きおろしたものを加えて、一冊のものにまとまるよう改稿したのが今回の作品です」
なるべく音楽的な要素を入れ込んだ。いとうせいこうと対談した際に言われた感想は「ズルいよ」。デビュー作ながら、その豊富な音楽経験から、“アルバム制作的”に執筆した、というのがその理由だ。
「確かに作り方は、音楽的というか、音楽現場的なものがあります。伏線の張り方は映画音楽を作るのに近い感覚もありましたしね。ただ作業の進め方は本のほうがゆっくりだし、多数の方が携わる音楽と異なり、少数で作る面白さがありました」
残念ながら母の富美子さんは2025年2月に他界。出版には間に合わなかったが、「ケヤキブンガク」の掲載時には読んでいて「ようやく自分のものが書けるようになったわね」と喜んでいたという。出版を楽しみに待っているとの言葉がほぼ最後の会話となったが、「残念ではあるけど、雑誌で読んでもらえたのはよかった」と話す。
「普段音楽を聴かない人にも、音楽的に気になるワードがたくさん出てきます。本を読まない音楽ファンにもそうしたワードをきっかけに物語に入り込めるチャンスがたくさんあるはず。そこが上手くつながってくれると嬉しいし、作中に出てくる楽曲はすぐ聴けると思うので、聴きながら読むといろんな発見があると思います」
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第1回【高田漣、“年の離れたレジェンドたち”に教わったギターと耳 父・渡の縁が音楽の道を開いた】では、子どもの頃にやっていた「ライブごっこ」の話など、音楽の目覚めを語っている。
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