高田漣、就職氷河期で「ひとまず音楽を仕事に」 父は激怒の電話1時間半も…最後は「まあ頑張れや」
ソロデビューのレコ発ライブで、幼少時を思い出す
スティールギターがソロデビューにつながった。2002年発売のアルバム「LULLABY」がそれだ。だが自身はソロは考えていなかった。
「これはプロデューサーの計らいというかはかりごとというか。全曲カバーのインストゥルメンタルだったので、メンバー全員で作るカバーアルバムだと思っていたんです。ところが、レコーディングの合間に僕のソロだとプロデューサーから聞き、『僕のアルバムなんですか?』って問い返したほど。そもそも自分をスティールギター奏者と思ったことは一度もないんですよ。いろんな楽器を弾くけどその一つであって」
ともあれ、出来上がったデビュー作。CDジャケットには、幼少時に撮影したバンドメンバーを装った写真を絵画風にして使い、帯には父・渡の言葉が入っていた。
「自分の人生が1周目の円環を終えてこれから2周目に入っていくんだなあと思いましたね」
発売記念ライブでいざステージに立つと、客席の正面ど真ん中に父が陣取っていた。父とは共演することが多かったので特段の緊張はなかったが、ある光景が頭をよぎった。
「父の横には僕もよく知っている人が二人いらしていたので、思わず、子どものときにしていたライブごっこの風景を思い出してしまいました。しかし父はなんで何も言わずに来るかなぁ、と思いましたね(苦笑)」
自身のソロアルバムなら、自作曲を入れ、自分の声もボーカルとして使いたい。その思いは、1年半後にリリースしたアルバム「Wonderful World」から少しずつ進められた。
「pupa」でつながった不思議な縁
2007年、高橋幸宏の呼びかけで、原田知世、高野寛、堀江博久、権藤知彦とともにバンド「pupa」を結成した。高橋が坂本龍一、細野晴臣と結成したYMOに小学生の頃にハマっており、父に“進言”したことがあった。
「教授(坂本)はもともとフォーク界隈というか父の仲間内の最若手で、父が残した膨大なフィルムから発掘された写真をまとめて出版した写真集『高田渡の視線の先に』にも『あぶさん』と呼ばれていた頃の教授や、『はっぴいえんど』時代の細野さんが載っていますし、よく名前を聞く人たちだったんです。YMOはお茶の間の人気者でもあったし、音楽というよりアイコンとしてハマっていたので、何も悪気はなく『お父さんもYMOみたいなことやったらいいのに』と言ったことがあるんです。でも父はすごく悲しそうな顔をしたんです(笑)」
ソロデビュー後、自身のマネージャーにその話をしたところ、高橋のマネージャーを通じて本人にその話が伝わった。2006年に「細野晴臣&東京シャイネス」として活動していた際、ステージ上で「漣君ってYMOが好きだったんでしょ?」と突然言われ、その秘話に客席は大いに沸いたが、この話を細野に伝えたのが高橋だった。
「細野さんのライブ終演後に『あの話、教えたの俺だよ』と幸宏さんが現れて。『あの話、サイコーだよ、今度一緒にやろうね』と幸宏さんに言ってもらって、1年後ぐらいかな。pupaの話が来たのは」
父・渡も、高橋が創立したレコードレーベル「アゲント・コンシピオ」からレコードを発売するなど、高橋とも浅からぬ縁があった。
「pupaも含めて、そういうリンクが大きな輪っかになっていったような感覚でした。演歌・歌謡曲などのシーンも含め、音楽業界って案外狭いものです(笑)」
近年は「作品を残すにとどまらない音楽のアーカイブ」といった作業をこなすことも多くなっており、2026年秋には、そうした日本のポップスの源流を探るイベントにもpupaの高野とともに携わる予定という。
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