「女子高生コンクリ詰め殺人」から37年 悪夢の犯行の一部始終と、「元少年」たちが述べた偽りの「反省の言葉」
わが国犯罪史上においても稀に見る重大かつ凶悪な犯罪――。公判の際、検察がそこまで表現せざるを得なかったのが、1989年、東京・足立区は綾瀬で起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。被害者の女子高生が亡くなったのは1月4日。すなわち、今年でそれから37年の歳月が流れたことになる。実刑に処されたのは4名。彼らは逮捕当時16歳から18歳であったため、「少年法」によって守られ、メディアでその名が広く報じられることはなかった。それぞれをA、B、C、Dとすれば、彼らに下された刑は、主犯格A=懲役20年、準主犯格B=懲役5年以上10年以下(不定期刑。以下同)、C=5年以上9年以下、D=5年以上7年以下というものだった。
その後、4人は刑期を終えて全員が出所したが、そのうちA、B、Cは再び逮捕されるなど「更生」の姿を感じさせることはなかった。この事件が「少年法の敗北」とも言われる理由であり、今なお、少年法のあり方が論じられるときは必ず俎上に上る事件である。
「週刊新潮」では、彼らが再犯する度に、その詳細と、綾瀬の事件での所業について繰り返し記事にし、記憶に留めてきた。いまなお、少年による凶悪な犯罪は後を絶たない。少年法のあり方について考える意味でも、当時の「週刊新潮」記事を基に37年前の事件と、加害者の「その後」を改めて記してみよう。
【前後編の前編】
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【写真をみる】「コンクリート詰め殺人」実際の“監禁現場” 元「少年」が両親と暮らしていた綾瀬の一軒家
ひったくりや恐喝を繰り返す
東京都足立区綾瀬で起こった「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者(当時17)が40日以上にわたって監禁された上、絶命したのは1989年1月4日のことである。
「週刊新潮」(2004年7月15日号、2018年9月6日号)を引いて、そこに至るまでの経緯を振り返ってみる。
1988年11月末――。
区内の同じ中学校を卒業したA、B、C、Dの4人グループは、ひったくりや恐喝などを繰り返していた。
ある日、リーダー格のAが、偶然、自転車で通りかかった17歳の女子高生を見かけて拉致し、
「俺はおまえのことを狙っているヤクザだ。言うことを聞けば命だけは助けてやる」
と脅して、ホテルに連れ込んで乱暴した。その後、彼女を監禁場所に連れていき、年明けに彼女が死亡するまで40日以上も監禁を続けたのだ。
この顔がいいんですよね
監禁現場となったのは、Cが両親らと暮らしていた、綾瀬にある一軒家の2階。ちなみに、Cの両親は共に共産党員であった。被害者が絶命した1月4日、犯人4人が彼女に振るった暴力行為は、吐き気を催すほどひどいものだった。
拉致されて以来、繰り返し複数から性的な暴行を受け、殴られ、ろくに食べ物を与えられていなかった被害者は、1月4日にはすでに衰弱しきっていた。虫の息。そう言ってもいい。4人はその日の朝、サウナが開店するまでの間、彼女をいじめて時間をつぶすことにした。
「おい、あれやれよ」
準主犯格のBはCにそう言い、小泉今日子の「なんてったってアイドル」をかけた。歌詞の中の「イエーイ」に合わせてわき腹にパンチを入れる。彼女が口をゆがめて苦悶するのを見て、Bが言った。
「この顔がいいんですよね」
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