「憧れは河合奈保子さん、大好きなのは松田聖子さん」「忙しすぎて歌詞を覚える余裕もなく…」芳本美代子、40周年の節目に“デビューからの紆余曲折”を振り返る

  • ブックマーク

 1985年、アイドル歌手としてデビューした芳本美代子。彼女は80年代に「Auroraの少女」などオリコンTOP10シングルを5作リリースするなど実績を残しつつ、90年代からは女優業にシフトし、『愛の劇場 ママまっしぐら!』(TBS系)など数々の昼ドラマで主演を務めた。23年には、大阪芸術大学短期大学部の教授にも就任している。

 そんな芳本だが、デビュー40周年を迎えた2025年にアルバム楽曲のストリーミングサービス(サブスク)を解禁したり、約35年ぶりにライブを開催したりと音楽活動に精力的だ。これまで、そしてこれからどういった心境で音楽と向き合っているのか尋ねてみた。

 まず、今の音楽の聴き方を聞いてみたところ、

「車の中でよく聴きますね。最近は専ら、自分の曲を思い起こすために聴くことが多いです。特に、自分の曲がサブスクに入るようになってからは、初期の曲をよく流しています。自分では手放してしまったけれど、ファンの方がプレゼントしてくださったアルバムなんかもサブスクで聴けて、懐かしい気持ちになります」

 とのことで、本人はサブスク解禁にとても好意的だ。

デビューのきっかけは? 憧れの先輩は? 思い出の数々

 ここからは、Spotifyでの人気曲を見ていこう。芳本美代子の場合、アルバム収録曲が解禁されたのは25年10月で、今回の取材時点ではまだ1ヶ月半しか経っていないので、まずは先行して解禁されていたシングル16曲を対象にしたランキングを出してみた。

 1位から4位を見ると、シングル6作目の「青い靴」、3作目の「雨のハイスクール」、7作目の「Auroraの少女」、そしてデビュー曲の「白いバスケット・シューズ」と、デビュー1年目から2年目にかけて楽曲がズラリと並んだ。当時のシングル売上順とは多少異なるものの、全体的に初期の楽曲が人気となっているので、今回はデビューから順を追って振り返ってもらった。

「デビューのきっかけは、中学3年になって福岡の放送局のKBC朝日放送が主催するオーディション番組に出た時に、テイチクレコード(現・テイチクエンタテインメント)の方にスカウトされたこと。そこから歌のレッスンに通わせていただいたり、東京に移ってからは所属事務所を決めていただいたりしました。

 そのオーディションからは桑田靖子さんや尾形大作さんがデビューなさっていて、本格的でしたよ。私はそのオーディションのゲストが大好きな松田聖子さんだったので応募してみたのですが、入賞することなくテレビに出るだけだったんです。

 でも、その前から好きだったのは石野真子さんで、小学生のころから渡辺プロダクションの広島校にレッスンに通っていて、当時から大好きだった真子さんの『ジュリーがライバル』などをオーディションの応募曲に選んだりしました。スカウトされた時に歌ったのは、河合奈保子さんの『ストロー・タッチの恋』。奈保子さんはその後、お世話になった事務所の先輩にもなり、憧れていましたね」

 スカウトされてからレッスンを積み重ねた2年後の85年3月、16歳になったばかりの芳本は、シングル「白いバスケット・シューズ」にてデビューを果たす。同年は、各レコード会社が女性アイドルの育成にひときわ注力しており、その前年まで松田聖子のシングル曲を長く担当していた大ヒット作詞家の松本隆が詞を手がけてデビューするアイドルも少なくなかった。

 斉藤由貴「卒業」、中山美穂「『C』」、そして芳本美代子「白いバスケット・シューズ」。中でも、芳本は、デビュー曲からシングル7作連続で松本が作詞を手がけている。本作は、どのように作られたのだろうか。

「デビュー曲を書いていただくにあたって松本隆先生とお会いした時に、私がバスケット・シューズを履いていたことからイメージしてくださったんですよ。スポーツは苦手でしたが、学校のクラブでバスケットボール部に入っていたんです。松本先生に書いていただけたのは、私が聖子さんの曲が大好きで、デビューに向けてのレッスンでもよく歌っていたからだと思います」

 同曲は、 ♪風邪ひいても しらなくてよ~ ♪眼をとじて 10秒待ったのに にぶい人ね~ といった、ちょっと勝気な女の子を描いた歌詞と井上大輔が手がけたオールディーズ風のメロディーの相性がよく、ノンタイアップながらオリコン最高22位と善戦した。

「松本先生の歌詞は、男の子をちょっと年下扱いするようなお嬢様っぽい子の歌が多いかもしれませんね。『しらなくてよ』なんて普段は使わない言葉でも、メロディーに乗ると、とても自然に歌えていたので、後々から考えてもやっぱり素晴らしい詞なんだと感じます」

 ただ、この歌にはとてはとても苦労したそうで、

「ファースト・ライブの映像にも残っているのですが、この歌のラストの高音部分、♪しーろーい~ の部分で、当時からしょっちゅう声が裏返ってしまって。頑張りたいけど、力むともっと声がひっくり返るのではと怖くなって頑張れない、というジレンマを感じていました。当時はめちゃくちゃ悩んでいたのですが、そういう映像が残っているのも、一生懸命だったんだなと今ではなんだか愛おしいです」

次ページ:デビュー後は忙しすぎて「歌詞を完璧に覚える余裕もなかった」

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。