THE ALFEE 51年目「今年いちばんの思い出は寄席デビュー」? 過去ザ・ベストテンでの珍事件も告白
あの手この手で
桜井「キレイにまとめた感じだな(笑)。俺は70歳超えて、アルフィーのペースでツアーができて。みなさんは軽く“あと5~6年平気でしょう”なんて言ってくれますけど、ひとつ不安なのが、いつまで声が出るんだろうと思うんですよ。出なかった声を出すようにしてきたので、早く声が終わってしまうんじゃないか、なんて」
高見沢「喉は何回も潰してきたからね」
桜井「そう。声帯に注射したり、いろんなことをやってきたけど、流石に70歳を過ぎると、いつ“パンッ”と出なくなるのかなと思うんですよ(笑)。声の出る限りはやっていこうと思っていますけどね。いつもヒヤヒヤなんですよ」
―――謙遜するように桜井はこう語るが、年齢が上がりつつ、音域も上がってきた。フォークバンドからロックバンドへと変わっていく過程で、高見沢の好きなハードロックもレパートリーに。桜井の力強いボーカルは、その魅力を引き出している。
桜井「高見沢は、ひどいんだよ。昔、『SWEET HARD DREAMER』という曲をレコーディングした時、“そんなんじゃない”ってずっと俺に文句ばかり言って怒らせてくるの。こっちも“わかったよ!”って怒って、裸になって歌ったんです。それでようやくOK出たんだけど、おかげで風邪引きました(笑)」
高見沢「そうそう、実はそれも作戦なんだけどね(笑)」
桜井「『鋼鉄の巨人』の時は“高いところは俺が歌うから大丈夫”って言ったけど……」
坂崎「普通のところも高いんだよね(笑)」
桜井「そう。それに、ライヴになったらハモれって言い出して。なんだよ、俺、ずっと歌わないといけないじゃんって(笑)。もうね、色々とやられていますよ」
高見沢「グループなんでね。あの手この手で桜井の良いところを引き出しました」
詰めの甘さ
―――ここ最近、取材を受ける中で、ジェネレーションギャップを感じるという3人。その中で、こんなやりとりがあったという。
高見沢「50年ということで、インタビューを受けることが多いのですが、面白かったのが、インタビュアーが25歳の方だったんですよ。そうしたら『ザ・ベストテン』とか知らないんですよね。“何ですか? それ”みたいになって(笑)」
坂崎「番組ですよ、音楽番組!(笑)」
高見沢「25歳だったら、そりゃあ知らないよね、って。あの時代は、僕らみたいなバンドはテレビを拒否することがカッコいいとされていたみたいですね。だから意外にバンドって出演していなかったのですが、僕らは“1回出ればいいだろう”と思って出たらそれですまなくなってしまって(笑)」
坂崎「TBS出るなら、こっちも出て、みたいにね」
桜井「結局、オファーが来た局は全部出ることになって(笑)」
高見沢「何事も詰めが甘いのが僕らですから。でも今思うと、出続けたことはよかったのかな、と思いますよ」
坂崎「83年に『メリーアン』がヒットしてメディアに出られるまで、デビューしてから9年かかっていますからね。でも、当時テレビやラジオをうまく使ったグループですね、なんて言われるけど……」
高見沢「そういった意識は全然ないよな」
桜井「うまく使ってなんかないよ。逆に使われてたよ(笑)。失敗だらけだったし」
高見沢「この日、ツアーなんで出られません、と言ったら“あ、行きます”って。いやいや、ライブ中だから無理なんですと言っても、結局会場から中継したり。その日は“移動日ですから”とお断りしても“そこ行きます”って(笑)」
桜井「どこかの公園から中継したこともあったよな。人が集まってきちゃって大変だった」
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