最愛の母の死に、妻は寄り添ってくれなかった…似た傷を抱えた人妻に“共鳴”してしまった52歳夫の告白

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【前後編の前編/後編を読む】娘が連れてきた婚約者が「まさか」 罪の連鎖? 神のいたずら? 52歳父が凍りついた“再会”

 世の中には信じられないような“偶然”というものがある。「事実は小説よりも奇なり」を地でいったとしか思えない話を聞いた。

「僕の罪が連鎖したのか、あるいは神様のいたずらなのか。いずれにしても発端は僕なんだと、この半年、地獄にいるような思いです。それを周りの誰かに話すわけにもいかない。それが苦しかった」

 沼沢利弘さん(52歳・仮名=以下同)は、因果応報をしみじみと感じていると語った。かつて自分のしたことが、その倍の苦しみになって返ってきていると。それが真実かどうかは定かではないが、彼自身がそう思ってしまうのもやむを得ないことが起きている。

長い付き合いの妻と、妊娠を機に結婚

 利弘さんが学生時代の同級生と結婚したのは27歳のとき。「まだ結婚は早い」と思っていたが、大学入学時に最初に口をきいた麻美さんとそのままつきあって、すでに7年がたっていた。しかもふたりとも就職してからは一緒に住んでいたので、親や周りからも「いいかげん結婚すれば?」と言われ続けてきた。

 そんな中で麻美さんが妊娠。ようやく踏ん切りがついて結婚に至った。

「正直言えば、まだ独身でいたかった。麻美と一緒に住んでいても、ふたりともそれぞれの友だちとよく遊びに行っていたし、そのことについてお互いに干渉はしなかったから、僕にとってはとても居心地のいい関係だったんです。最終的に麻美と一緒になるのはわかっていたけど、まだ遊んでいたかったというのが正直なところでした。でも子どもができたとなれば話は別。仕事も家庭もまじめにがんばろうと心を新たにしたのを覚えています」

 麻美さんは「食べさせてもらうのは嫌。私は専業主婦にはならない。そのためにもあなたがちゃんと伴走してよね」とはっきり言った。友だち感覚の強い夫婦だったから、まさに二人で息を合わせていけると思っていたという。

 その言葉通り、27歳で男の子を、30歳のときに女の子を授かっても、麻美さんは仕事を続けた。当時としては珍しく、利弘さんも育休をとった。勤務先で初めての男性の育休だったというが、その後に続く後輩たちには喜ばれた。

「楽しい家庭」を目指して

 30代は、夫婦ともども仕事と子育てに明け暮れた。キリキリした生活はしたくないとふたりとも思っていたから、ときには親に預けたり近所の同世代の友人に頼ったりしながら、「楽しい家庭」を目指した。

「価値観が似ていたんですよ、麻美とは。家事が大変だと思ったらサボろう。子どもの洋服の洗濯が追いつかなかったら、安いものを買ってしまえって感じ。いかに手を抜くかをふたりとも考えていた。その代わり子どもたちとの時間はたっぷりとる。子どもたちが少し大きくなったら料理を手伝わせる。うちの親も麻美の親も、『子どもは栄養たっぷり食べさせて、かわいいかわいいと育てればいい』というアバウトな人たちなので、僕らもそれを受け継いだ感じですね」

 高校までは公立でいい。よほど本人が行きたい学校があれば別だが、「とにかく楽しく生きてほしいだけ」だったという。

「家族で笑っていられる時間が長ければ長いほどいい。シンプルにそう信じていました。息子が学校でケンカして帰ってきても、家にいれば安心だと思わせたかった。ケンカして仲直りして、さらに仲よくなる。そういう子どもでいてほしかった。息子は空手を習っていたのでケンカしても手は出さない。むしろやられて泣く子だったけど、まあ、それもいいかと思っていました。大人になったとき、強いけど優しい人であれと願っていた。娘も空手をやっていたので、うちの子たちはふたりともいざというときは強かったんじゃないかな……」

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