最愛の母の死に、妻は寄り添ってくれなかった…似た傷を抱えた人妻に“共鳴”してしまった52歳夫の告白
そんな利弘さんに魔が差して…
家庭第一の利弘さんに、ふと魔が差したのが不惑に入ったときだ。家庭を大事にしているなら、ずっと大事にしていればいいのに、人間には「逢魔が時」というものがあるのかもしれない。ふっと心に穴があく。そこに魔が入り込む。
「息子が中学に上がったときに、母が通っていたスポーツジムで倒れて、そのまま意識を取り戻すことなく亡くなったんです。会社から駆けつけたけど間に合わなかった。その前日が母の誕生日だったから、一緒に食事に行ったばかりで……。子どもたちが小さいころは麻美は母とうまくやっていたんですが、だんだんふたりが険悪になったので、僕はひとりでときどき母の元へ行っていました。麻美はそれも本当は気に食わなかったみたいだったけど、『お互いに相手を頼らず、自分の親を見ることにしよう』と紳士協定を結んだんです。まあ、僕は麻美に言われれば彼女の親のところへも行きましたが、彼女は僕の母とはほぼ没交渉だった。誕生日くらい一緒に祝ってくれてもいいのにとは思ったけど」
「僕の母が嫌いというより…」
母は68歳で亡くなった。通夜と葬式でも麻美さんはあまり心を寄り添わせてはくれなかった。葬儀が終わるとすぐ、精進落としにも参加せずに麻美さんは出勤していった。彼女の父親が恐縮して謝るので、利弘さんは「彼女も忙しそうだから」と庇うしかなかった。
「麻美は僕の母が嫌いというより、母と一緒にいるときの僕が嫌だったんだと思う。うちは母子家庭だったんです。僕の戸籍の父親の欄は何も書いてない。だけど母は『私はあなたの父親を本気で愛した。彼もあなたが生まれたときは泣いて喜んだの』といつも言っていました。父が誰だかは察しがついていますが、母の手前、僕は会おうとは思わなかった。母はその人を愛した記憶だけで幸せだと言っていた。大人になるにつれ、そういう人生もあるんだろうと納得したんです。麻美は『あなたとお義母さんの間には入れない』と言ったことがある。僕はそんなに母にべったり甘えてはいなかったし、母もさっぱりした人だったんだけど、麻美からは特別な絆があるように思えたのかもしれません」
だから母の死は強烈なボディブローを食らったようなものだった。1度くらい一緒に海外旅行でもしようかと話していた矢先だった。働きづめの母を、観てみたいと言っていた歌舞伎にも連れていってやれなかった。後悔しかなかった。
「僕自身、どうしたらいいかわからなかったから、母が救急搬送された病院に相談に行ったんです。そうしたらそこでグリーフケア外来というのをやっていて。遺族が悩みを話せる場だというので通うようになりました。麻美にはそのことは言っていませんでした」
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