「片岡千恵蔵の殺陣は刀で相手を本当に叩く」「最初は死体役」 殺陣師・斬られ役のレジェンド4人が語った「昭和の時代劇」驚愕の撮影現場【追悼・菅原俊夫氏】

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進んで身体を張る奴は多かった

福本:僕が、名前を覚えてもらったきっかけは、「水戸黄門」の特技担当だった宍戸大全さんが持ち込んだトランポリンだった。練習してたら、「人が足らんから手伝ってくれるか」と、崖から落ちるシーンに呼ばれたんです。

 それまでは何百人もいる中で、僕みたいに顔に個性もなくて背も低いのは名前も覚えてもらえなかった。ところが、その時は「おい、福本、大丈夫か。あかんかったら、ちゃんと言えよ」なんて、雲の上の監督さんと話ができて、本当にうれしかったですよ。

笹木:ここ(俳優会館3階の「東映剣会」事務所)の窓から飛び降りる稽古も、よくやりました。下の地面に1畳大の厚いマットを敷きつめるんですが、不思議とその継ぎ目に落ちる(笑)。

上野:それが1人2人じゃない。ここは本来僕ら殺陣師の部屋なんですが、昼休み、飯食ったばかりなのに次々にやって来ては飛び降りる。みんな裸足でやるものだから、畳はドロドロ(笑)。

 危険手当が出たこともあって、進んで身体を張る奴は多かったね。昔、新撰組の池田屋の階段落ちを専門にしていた汐路章さんという俳優がいた。この人は自分の値打ちを釣り上げるのが上手くてね。「本番! 用意」となった時に毎回「ちょっと待って。気持ち入れ替えます」と。

 こう言うと、みんな注目するでしょう。特に加藤泰監督が惚れ込んでいてね。ある日、彼が地べたに座り込んでいたら、監督が「静かにっ! 汐路さんが役作りしてるから」って。後で汐路さんに聞いたら、「いや、借金をどう返すか考えてた」(笑)。

東映剣会が培ってきた技

〈そうして培われてきた殺陣やスタントの技が今、時代劇の衰退と同時に喪われようとしている〉

上野:僕が殺陣師の修業を始めた頃には、薙刀、槍術、示現流から琉球空手まで、いろんな武術を、会社が習わせてくれたんですよ。

菅原:そういう制度が全くなくなってしまったから、これから殺陣師になろうという人たちは可哀想です。

福本:今でも殺陣を教える学校はあるけど、映画やテレビの「立ち回り」はまた別物。大スター、殺陣師、斬られ役の先輩方が様々な武術を勉強し、作り上げてきた集大成なんです。

上野:「仁義なき戦い 広島死闘篇」で、北大路欣也さんにバーンと撃たれた福本君が、後ろへ吹き飛ぶシーンがある。最初、監督はロープで引っ張ろうとしたが、僕が「そんなの要らん」と言った。実際、福本君は見事に吹き飛んで、監督も感心していましたね。それがまさに東映剣会が培ってきた技なんですよ。

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