「片岡千恵蔵の殺陣は刀で相手を本当に叩く」「最初は死体役」 殺陣師・斬られ役のレジェンド4人が語った「昭和の時代劇」驚愕の撮影現場【追悼・菅原俊夫氏】

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最初にやらされるのは「死体」役

〈4氏が東映京都撮影所でプロの道を歩み出した昭和30年代は時代劇の隆盛期。仕事は山ほどあったが、“契約社員”扱いの新入りの日当は、学生アルバイトと同じ1日250円(後に300円)。何時間働いても、複数の現場を掛け持ちしても同額だった。素うどんが1杯15円の頃の話である〉

福本:朝、撮影所に来ると、「福本、○○組、町人」という風にその日の予定が書いてある。それを確認して、自分の名前の書いてある札を○○組の箱に入れると、日当が付くわけです。でも、あんまり忙し過ぎるんで箱に札だけ入れて逃亡を図ることもありましたね。見張りの人に「コラーッ」と怒鳴られても、先輩らは「アホ!」言うて、バーッと逃げていく(笑)。

菅原:衣装倉庫の横から裏手に抜けて、電柱を伝って逃げ出す猛者もいたね。

〈新入りの役者が、立ち回りで最初にやらされるのは「死体」役だった〉

笹木:僕も最初は寝かされましたね。死体とはいえ「寝かせる」言うんや(笑)。

上野:斬られるのが上手い先輩たちは、甦って、また斬られないといけないから。

笹木:代わりに寝とけ、と。

上野:僕は本番で本当に鼾(いびき)をかいて眠ったことがある。

福本:心地いいんだよ。真夏の早朝の撮影で、寝そべると、地べたがヒンヤリして。しかも、「用意、スタート」で始まると、足音がドカドカドカ。まるで映画館にいるようで(笑)。

上野:電車に乗って、寝てしまうのと一緒や。

まず名前を覚えてもらうことが一番

〈そんな大部屋俳優たちが目指したのは、昭和27年に撮影所内で結成された“斬られ役”のエリート集団「東映剣会」のメンバーになることだった〉

上野:昔は、大部屋俳優は男女合わせて500~600人もいて、剣会の正会員が40~50人、準会員が50~60人ほど。正会員になると映画1本につき1000円の手当が付くんです。多い時で月12本くらい作るから、手当だけで1万2000円。

 昭和35年に労働組合ができてからは、全裸になれば裸手当、人を乗せた駕籠を担げば駕籠手当と、いろいろな手当がつくようにはなったけど、本給が3000円、日当300円の頃ですからね、1本1000円は大きかった。みんな剣会に入りたがるわけです。

笹木:僕らみたいなペーペーは、まず名前を覚えてもらうことが一番でした。

上野:演技課長が「俳優は日頃から目立たなきゃダメだよ」なんて言うもんだから、自分の首に犬の首輪と鎖をつけたり、浴衣の後ろと襟に名前を大書きしている人もいた。そういう勘違い組はすぐに消えて行きましたけどね。やっぱり身体を張ってた人が残ったね。

福本:その代わり、いっつもヤセ我慢。僕らは「痛い」と言ったら終わりなんです。「あいつはすぐに怪我するから」と、使ってもらえなくなる。僕がここまで来れたのは骨折しなかったからですね。さすがに骨折は隠せないけど、打ち身程度なら我慢できますから。

上野:片岡千恵蔵先生の殺陣はね、本当に刀で相手を叩くんですよ。僕がまだ役者をやってる時に、千恵蔵先生にバチーンとお腹を斬られてミミズ腫れになったことがある。痛くて風呂にも入れなかったけど。千恵蔵先生から受けた傷は、むしろ「勲章」でした。

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