「吉永小百合はーん、出てきなはれ」に現場は冷や汗 明石家さんまは「心優しきお笑い怪獣」である

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 コンプライアンスが重視される昨今、テレビでのハプニングはめっきり減った。一見、ハプニングのように見えても実は筋書き通り、なんてことは珍しくない。

 そんな中でも、いまだ番組にアドリブ感を漂わせているタレントの一人が明石家さんまだ。「さんまのお笑い向上委員会」などで若手相手に自由自在に繰り出すツッコミ、イジリは、台本の存在を感じさせないものばかりである。

 時代を考慮してか、今でこそその“攻撃力”を発揮する相手はもっぱら芸人に限定されつつあるが、かつてのさんまは大物女優相手でも遠慮なかった。

「踊る!さんま御殿!!」「恋のから騒ぎ」など数多くのヒット番組を手掛けてきた元日本テレビプロデューサーで映像プロデューサーの吉川圭三氏は、公私にわたって明石家さんまと親交を深めてきた人物。新著『人間・明石家さんま』では、吉川氏が見てきた楽屋、仕事場、オフでのさんまの素顔を描いている。

 テレビがまだラフで、さんまが今よりも「容赦なかった時代」、現場ではどのようなドラマがあったのか。吉川さんが目撃したのは、大女優、吉永小百合ですら笑いの世界に引きずり込もうとする、さんまの異常な熱量だった。

 以下、吉川さんによる特別寄稿である(文中敬称略)。
 
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吉永小百合を引きずり込もうと

 1995年の年末のトーク番組「さんま・所のオシャベリの殿堂」の収録の時である。MCの二人はゲストの都合から都内各所に移動をしつつ特設ステージで収録した。
 
 長い収録の最後は大物女優・岩下志麻の待つ銀座の東映本社内で行われた。岩下と吉永小百合の初共演映画「霧の子午線」の宣伝のためであるが、当日は吉永も宣伝稼働日。宣伝部からは「当日は吉永さんも会場に来ており、状況によっては出演可能かも」という一言をもらっていた。
 
 実現すれば二大女優との前代未聞のトーク番組共演となる。吉永出演は、確定は出ていないものの、迂闊にも私はさんまに「吉永さんもステージの近くに来ており出演可能かも」と耳打ちしていた。

 岩下志麻はこの日のために珠玉の秘話を山ほど持って来て下さり、トークは大変盛り上がった。最後に共演者の吉永の話になった。そこでさんまが私の言葉を思い出した。舞台袖で吉永本人が見ているという情報も担当スタッフからあった。
 
 すると、突然さんまが立ち上がって大声で叫び始めた。私がトーク番組の収録であれほど冷や汗をかいたのはこの時が最初で最後であった。

「吉永はーん。そこにおるのはわかっておるんやで。早よ出て来なはれ。吉永はーん。腹括ってそこにおるんやろ。怖いことあらへんのやでー」

 所がさんまを止めに入るがさんまは真剣だった。しかし、吉永は姿を見せない。
 
 やがて、岩下が“これは無理だわね”という諦めの表情をした事もあり、この場はどうにかさんまも収まった。
 
 収録後、銀座のホテル西洋のイタリア料理屋にさんまを誘った。その店でも、さんまはパスタをフォークに巻き付けながら終始つぶやいていた。

「吉永はん、なんで出て来はらへんかったんやろ。おもろうしたのに」

 今になって考えると明石家さんまの熾烈なトークの現場に吉永が出演しないと判断したのはある意味で賢明であったのではないかと思う。
 
 演技だけに長年打ち込んで来たある意味でとても純粋で無垢な吉永が、面白さをひたすら追求する笑いの戦場のようなさんまのトーク現場に打ち合わせもなしに無防備に出て行ったら……と考えると、私ですらゾッとする局面であった。

 もちろん、さんまは吉永を単に「笑いの道具」と捉えていたわけではない。吉永の仕事ぶりに長年、リスペクトを抱いていたことを、ラジオ番組「ヤングタウン土曜日」(MBS系)で明かした。吉永が新作映画で役のために初めてピアスを開けたという話や、さんまが出演した1980年のドラマ「天皇の料理番」撮影時に、番組のファンということで現場に来ていた吉永と並んでモニターをチェックしたのが自慢だ、とさんまは振り返っている。(スポニチ2025年5月18日)

深い人間愛

 こうしたエピソードだけ見れば、さんまは笑いのためには大物芸能人から素人まで何でも利用するかのように誤解される方もいるかもしれない。実際、そういうタイプの芸人もいると思うが、さんまはそうではないことを、長年収録に立ち会ってきた私は知っている。それがよくわかるエピソードをご紹介したい。

 ある日、「恋のから騒ぎ」(日本テレビ系)収録中に「女性が突如として泣き出す」という事件が起こったことがある。

 黒髪を引っ詰めにした質素な雰囲気で、仕事も普通の会社員だったある出演者は、美人だが発言の少ない、言ってしまえば地味めな女の子だった。そんな彼女が不意におずおずと手を挙げた。

「ん、なんや?」
 
 さんまが聞くと、その女性は少し躊躇した後でこう切り出したのだ。

「実は、3日前、5年付き合っていた人と別れたんです」

「別れた?」

「はい」

「好きやったんか?」

「はい、好きでした」

 そこまで言うと、その女性は突然さめざめと泣き始めた。隣の女性がハンカチを差し出す。さんまが言う。

「俺にはなにもできへんけども、まぁいつでも別れは悲しいもんやからな」

 番組中に、失恋を告白して泣き出す出演者など普通はいない。もしかしたらこれはテレビの歴史が始まって初の出来事だったかもしれない。さんまは優しい言葉をかけると、絶妙なタイミングで次の女性にトークを振った。

 その収録後、さんまは楽屋でネクタイを解きながらこう言った。

「あの子、番組になかなか貢献できんで、いつも“なにか言わなきゃ”と思っとったんやろうな。それで、迷った末に思い切って自分の失恋の話をしたんやで。一生懸命でええ子やで。きょうはあの涙に全部持っていかれたな。テレビはほんまにオモロイ」

 素人扱いの天才ではあるが、こういうとき、決してトークを広げようと深追いをしない。この件に限らず、ネガティブな話題、たとえば「愚痴・泣き言・誹謗中傷・苦労話・密告の類・全体の空気を悪くする話」が出てきた場合、見事に一瞬でそれを笑いに転換するか、トークの場の圏外に蹴り出し別の笑いのタネを見つけて昇華させていくのだ。
 
 その背景には、さんまの人間への愛情があるのだろうと思う。

吉川圭三(ヨシカワ・ケイゾウ)
1957(昭和32)年東京下町生まれ。早稲田大学理工学部卒。1982年日本テレビ入社、「世界まる見え!テレビ特捜部」「笑ってコラえて!」等のヒット番組を手掛ける。ドワンゴ、KADOKAWAを経て2025年12月現在は映像プロデューサー。『たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場』等著書多数。

デイリー新潮編集部

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