“神対応”伝説 明石家さんま、東京ドームでファンに寄り添い「かまへん」と笑顔で応じた一部始終

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 スマホやSNSの普及は、有名人たちにとって息苦しさにもつながっている。街中で撮影された動画が知らぬ間にアップされることは珍しくない。丁寧に対応していて「神対応」と賞賛されるならまだしも、何らかの理由で素っ気ない態度を示したところを切り取られて叩かれるリスクもある。

 新幹線で隣り合わせになった一般人にもサービス精神を発揮していた、相手が眠ろうとしても寝かさなかった――そんなエピソードがよく語られているのが明石家さんま(70)だ。「踊る!さんま御殿!!」「恋のから騒ぎ」など数多くのヒット番組を手掛けてきた元日本テレビプロデューサーで映像プロデューサーの吉川圭三氏は、公私にわたって明石家さんまと親交を深めてきた人物。そして吉川氏もまた、そうしたさんまの「サービス精神」の目撃者の一人だ。 

 新著『人間・明石家さんま』では、さんまのサービス精神の凄さを物語るエピソードを数多く綴っている。ここではそのうちの一つをご紹介しよう(以下、同書をもとに再構成しました。文中敬称略)。
 
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人間が好き

 さんまのことを頭を振り絞って思い出して記してきても、やはりそのすべてを語り尽くすのは難しいと、ここまで書き進めた今も感じている。複雑怪奇、ではないが一言では語れない。ただ、私が断言できることもある。それは明石家さんまは誰よりも「人間が好き」で「義理堅い」ということだ。

 どうせ平身低頭でさんまに付き従ってきたから気に入られたのだろう──業界には、私のことをそのように揶揄する者もいるだろう。しかし、さんまは、うわべだけの服従や甘えや極端な媚びへつらいをすぐに見抜く人間だ。そしてそれを何より嫌う。
 
 私がさんまと長く仕事を続けたいと願い、そうしてきたのは彼の「笑いの才能」と「仕事への取り組み方」、そして「人間性」に惚れ込んだからに他ならない。

 いくつかのエピソードをすでに紹介してきたが、さんまがファンやスタッフや視聴者に卓越した応対をし、いつも全力で仕事に取り組んでいることはよく知られている事実である。それは並大抵のことではない。日々の喜怒哀楽、自身がどんな目に遭っても、どんなに仕事がハードでも、そのサービスの心を貫く。

 あらゆるスタッフや後輩の芸人や共演者との食事会でも例外なく自らご馳走し、自分の車を運転し、現場まで来る。周囲の人間を手足の様に使わず、ほぼ何でも自分でやる。
 
 この様にあまり人に頼みごとをすることがないさんまだが、一度だけ「吉川くん、ちょっと巨人戦が見たいねん」と言われ、2002年頃に東京ドームにお連れしたことがある。

「恋のから騒ぎ」と「踊る!さんま御殿!!」を成功に導いた日本テレビの最大の功労者の一人、さんまクラスのVIPを案内するのであれば、球場を見下ろす位置にある、ホスピタリティ抜群、飲食充実のガラス張りの個室の「特別室」であることが普通だが、何の手違いか日テレのスポーツ局が手配してくれたチケットは、一般的な一塁側の内野席だった。

 私はドームの入り口でチケットを受け取り青ざめた。しかし、動揺を隠せない私に気を遣ってか、到着した明石家さんまは席に座るなり「応援に向いた、試合が見えるエエ席やんか」と呟くと、そそくさとどこで入手したのか巨人軍の鉢巻きとヘルメットとハッピとメガホンを手提げ袋から取り出して「ほら吉川君も着て」と私の分も渡し、鼻歌交じりに大声で応援し、楽しそうにしている。試合が始まると、「次はこういう展開になるで」と解説を始め、8割方さんまの言うとおりに試合は展開した。

 しかしゲームの序盤、もっとも私が恐れていたことが起こった。観客席が、試合の盛り上がりとはまったく別のタイプの「ざわつき」を見せ始めていた。そう、東京ドームの満員の全5万5000人の観客達が徐々に「明石家さんまが東京ドームの観客席にいる」と気付いてしまったのだ。

「さんまさん、サインしていただいてもいいですか?」

「大ファンなんです! さんまさん、握手してください!」

「写真を息子と撮って頂いてよろしいですか?」

 老若男女がさんまのもとに押しかける。いつしかその行列は40メートル、いやそれ以上に及んでいた。

「警備員を呼んできましょうか?」

 と私が聞くと、さんまは、

「かまへん、かまへん」

 と言いながら、サインや握手を一切断ることなく、最終回まで試合を観ながらサインを続けた。

巨人軍選手相手にもトークを展開

 その後、四谷の魚介類の高級和食店の座敷にさんまと居ると巨人軍の若手選手が次々に現れて、食べて飲んでの大騒ぎとなった。さんまはやって来た選手達の全てのプレーを克明に覚えており、

「A君、あれは、ドジったな」

「B君あの時は、見事やったわ~」

 などと話すので、選手達も爆笑したり興奮したりで、結局その宴が盛況の裡に終了したのは深夜12時過ぎだった。
 
 迎えに来たさんまの個人事務所スタッフが運転する車を見送った後に何故こんな会が開かれたのかをふと考えた。

「あ、このきっかけはもしかして長嶋茂雄さん?」

 二人は1991年のNFLスーパーボウルでの現地解説以来懇意にしていた。長嶋さんは、2001年に巨人軍監督を勇退した後にはさんまに電話で連絡してきて、

「さんまちゃん。たまにはドームに行って若い選手を激励してよ」

 と言ったのだと私は確信的に思っている。そう考えるとあの時の明石家さんまの突然の巨人戦観戦とその後の宴会の謎は完全に解ける。

 ……だがその後、野暮な質問が嫌いなさんまにこの事は聞かなかった。

吉川圭三(よしかわ・けいぞう)
1957(昭和32)年東京下町生まれ。早稲田大学理工学部卒。1982年日本テレビ入社、「世界まる見え!テレビ特捜部」「笑ってコラえて!」等のヒット番組を手掛ける。ドワンゴ、KADOKAWAを経て2025年10月現在は映像プロデューサー。『たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場』等著書多数。

デイリー新潮編集部

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