深すぎる! コンプラ違反のスタッフに明石家さんまが投げかけた言葉 「生きてるだけで丸もうけ」の背景にある人生哲学

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「生きてるだけで丸もうけ」は、明石家さんまの名言として知られるが、受け止め方はさまざまだろう。ちょっと聞いただけだと、シンプルに「人生は楽しい」と言っているようにも解釈できる。

 が、ここにはより深い人生観がある、と語るのは元日本テレビプロデューサーで映像プロデューサーの吉川圭三氏だ。吉川氏は、「踊る!さんま御殿!!」「恋のから騒ぎ」など数多くのヒット番組を手掛けてきた名プロデューサー。公私にわたり明石家さんまとの親交は深く、新著『人間・明石家さんま』では、「お笑い怪獣」の知られざる「人間としての素顔」を明かしている。
 
 さんまはなぜ人を笑わせ続けるのか。吉川氏は自身が目の当たりにした光景をもとに、さんまの人間観、人生哲学を読み解いている(以下、『人間・明石家さんま』をもとに再構成しました)。
 
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「悲しいことも辛いことも全部笑いに変えたんねん」

 直接本人から聞いたわけではないが、さんまは幼少時から青年期まで幾多の困難な体験をしたとされている。繊細な感性を持つさんまだが、苦難な時を経験して成長して来たのだと思う。
 
 たださんまは、実家で同居していた最愛のお爺さんが認知症になった時も、
 
「お爺は炬燵の上にあった、ボタンを押すと『こんにちは』とか短く喋る白い電気ポットに『高文。こちら、お客様で? いやこんな奈良の田舎までよういらっしゃいましたなぁ』と言っとったわ~」
 
 と笑いを取りながら語る。

「生きてるだけで丸もうけ」──非常に有名な、明石家さんまの座右の銘である。最愛の長女・いまるの名前の由来もここからであることは、よく知られている。楽屋トークの明るさは、このポリシーによるところが大きいのだろう。さんまはかつて、自らの番組「明石家マンション物語」(フジテレビ・1999年12月8日)で、こう語っている。
 
「俺はなぁ、悲しいことも辛いことも、あるとき、“全部笑いに変えたんねん”って決めたんや」
 
 そう、さんまは卓越した才能を持つが、あくまで地に足を着けて生きる普通の市井の人達の感覚を持っている。生きている限り不幸や災いがその身に降りかかることがあるということを理解しているし、今まさに貧しさや生老病死などの労苦を背負い、日々それと対峙している人々がいることを知っている。

 そして明言は決してしないが、明石家さんまは間違いなく現在の日本の青少年や若者の“死亡理由”の第1位が「自殺」であることも知っている。長年にわたって放たれているこの言葉には、さんまからの「死ぬな」というメッセージが込められているのだ。
 
これは相当な覚悟を持った言葉だとも思う。

「誰にでも魔が差すことはあるねん」

 そのような姿勢があるからか、さんまは他人に過度な期待をしたり、失態を強く責めたりということはまずない。
 
「オレは人に腹を立てるような器じゃあらへんし、そんなに偉くもない。人に腹を立てたり怒ったりする人は、他人に期待し過ぎやねん」
 
 というのはよく聞く言葉だ。
 
 そのさんまの姿勢を、よく示すエピソードがあった。「恋のから騒ぎ」が終了して2年程経った2013年頃、番組の元プロデューサーのAにとあるスキャンダルが浮上する。それも女性絡みだった。
 
 その時、我々番組立ち上げスタッフは、正直かなり怒っていた。「恋から」は、セキララな恋愛ネタが展開される一般女性参加型の番組であった。それだけに関係者が世間から色眼鏡で見られることも多い。元プロデューサーとして色恋沙汰含め「ありがち」と決めつけられる、厄介なトラブルから番組と出演者を守っていかなければならない立場なのに、一体何をしているのか、と。
 
 Aは人気番組のプロデューサーだった経歴を持ち、なおかつテレビに出てにわかに有名人となったことなどから「勘違い」してしまったのかもしれない。彼はこの事件で辛うじて会社には留まることができたものの、制作現場からは外された。
 
 それからしばらく経ったある日、私と菅賢治チーフプロデューサー(当時)をはじめ、スタッフがさんまの楽屋にいると、突然入り口のドアが開いた。騒動を起こしたAだった。しかも、白と黒の縞模様の囚人服を着ている。ドン・キホーテあたりで売っているパーティグッズだろうか。
 
 一瞬にして楽屋の空気が凍った。A本人は神妙な顔をしてうなだれていたが、彼が番組に泥を塗ったのは間違いない。ハッキリ言って、ほとんど笑えない状況だった。実際、菅チーフプロデューサーは無言ではあるものの怒り心頭で顔を真っ赤にしている。
 
 さて、さんまは何を語るか。みなが固唾を呑んで見守った。

「おいおい、菅くんもみんなもAくんを笑ってあげなあかんでぇ、囚人服、なかなかおもろいやんか」
 
 スタッフたちも、それを受けて軽く笑った。我々の怒りが収まったわけではなかったが、さんまの一言で、少しずつ落ち着きを取り戻してきたのも事実だった。
 
 Aは腰を90度に曲げるようなお辞儀をして、ドタンとドアの音を立て楽屋を後にした。
 
 その後、沈黙の楽屋。さんまは言った。

「Aくんもあの後、きっと色々考えたんやで。笑いを取りにいったら、かえってみんなを怒らせてしまうかもしれん。けど、ここは明石家さんまの楽屋やから、“お詫びのときにも笑いを”“楽屋のみんなを笑わせんと”と思ったんや。だからみんなで笑ってあげようや。

 せやけどな、君たちにも、オレにも、どんな人間にも大小さまざまな隙や油断があんねん。魔が差すときが必ずあるねん。オレもちっちゃな傷だらけな人生や。この世に完璧な人間なんてひとりもおらんねん。誰でも調子に乗ってしまうことがあんねん」
 
 このとき、笑いには“赦(ゆる)し”の効果があることも、さんまに教えられた気がする。
 
 コンプライアンス重視が徹底される現代、それを逸脱する行為は非常に強く批判され、社会的なペナルティを受けるようになっている。芸人・タレントらがスキャンダルを起こすたびにさんまはコメントを求められるが、さんまは多くの場合「優しさ」「寛容さ」にあふれた発言をする。それがリスクを負い世間の批判を浴びる結果になってしまっても、だ。
 
 さまざまな意見はあるだろうが、その根底には、さんまのこのような思いがあることを知っておいてほしいと思う。

吉川圭三(よしかわ・けいぞう)
1957(昭和32)年東京下町生まれ。早稲田大学理工学部卒。1982年日本テレビ入社、「世界まる見え!テレビ特捜部」「笑ってコラえて!」等のヒット番組を手掛ける。ドワンゴ、KADOKAWAを経て2025年10月現在は映像プロデューサー。『たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場』等著書多数。

デイリー新潮編集部

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