没後17年 「飯島愛」はなぜクリスマスイブに“孤独死”姿で発見されたのか 知人たちが語っていた「心の空白」
「何で死んじゃったの?」
こうして身体と心が壊れ行く中、飯島から電話をもらったと証言(「週刊新潮」2009年1月15日号)していたのは、知人の出版プロデューサー・高須基仁氏である。
「彼女と最後に話したのは、三浦和義さんがアメリカで自殺した直後でした」
「ロス疑惑」の三浦知義氏がロサンゼルスの留置場にて自殺を遂げたのは、2008年10月。彼女の死の2か月前である。
「久しぶりに彼女が電話してきて、“三浦さんは何で死んじゃったの?”って尋ねるので、僕は“自殺だよ”と答えました。彼女はそれを聞いて“やっぱりそうだよね”ってね。僕は“おい、飯島、お前は殺されたって死なねえよな”って言ったのが、彼女に掛けた最後の言葉」
弱々しい声で
「元気? ご飯でも行こうよ」
亡くなる直前には、芸能界で「親友」とも言われていたモト冬樹のところにも電話を入れている。モトは後に(「週刊新潮」2018年12月27日号)こう回想している。
「今になって考えるとだけど、電話越しの声がいつもより弱々しかったんだよね。でも、その時、オレ仕事が忙しかったの。だから、いつもと同じ軽い調子で、“また今度、時間がある時にな”って断ってしまって」
実はこの頃、心身の病が深刻化し、飯島は医師にかかっていた。エイズ撲滅の運動で知り合った、赤枝恒雄医師(元衆議院議員)である。赤枝氏は「週刊文春」(2023年12月23日号)でこう証言している。
「愛ちゃんは引退後、精神的に不安定になっており、亡くなる一カ月前まで私の診療所の二階で実質上の入院生活を送っていたのです。片頭痛や耳鳴りを訴え、『てめえコノヤロー!』という幻聴が聞こえると話していました。当時の彼女はとにかく何かに怯えた様子で、独りになることを怖がっていました」
その後、「退院」はしたものの、
「それから10日ほど経った12月15日の真夜中に、突然、診療所に現れたのです。愛ちゃんは3、4時間ベッドに座っていたのですが、明け方になって『もう大丈夫。一人でもやっていけそうだから』と自分に言い聞かせるように言って帰っていきました」
死亡推定日はその3日後だった。遺書はなかった。突然の死はおおいに謎を呼んだが、後に死因は「肺炎」と発表された。
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