【3歳女児餓死事件から25年】「殺人罪」に問われた21歳夫婦の所業…祖母が漏らした本音「子供が子供を産んだようなもの」

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高3の11月にAちゃんを出産

 そのせいかAちゃんの発育は遅れていた。今年8月には痩せてグッタリして来院し、栄養失調と診断されたが、Cは入院を拒否している。近所から武豊町の保健センターに、「あの家の育児は大丈夫か」という通報が寄せられていたこともあり、同保健センターも母親への指導に当たっていた。

 しかし、それでもAちゃんにはこの夏以降、一日にパン一、二切れしか与えられなかったという。周囲の心配も、この夫婦には全く通じていなかったのである。

 2人は、一体どんな家庭に育ったのか。

「Bの母親は2度離婚している。Bは母と義父に育てられ、名古屋市内の工業高校に通いました。Cも12歳の時に両親が離婚し、父親が引きとって、彼女は紡績工場で働きながら商業高校の定時制に通ったんです。Aを妊娠していることが分かり、その学校も退学。2人には浪費癖があり、電話料金も未納なのに、親から小遣いをもらって車やパソコンを買うような生活をしていました」(事情通)

 2人は、保育園時代の幼なじみ。高校に入ってポケベルのメールを通じて再会し、恋愛関係に。高校3年の11月に、18歳で早くもAちゃんが生まれている。その後、長男も生まれ(1歳6カ月)、現在も第3子を妊娠中だという。

子供が子供を産んだようなもの

 2人について、近所の住民がいう。

「今時の若者ですよ。奥さんは厚底サンダルを履いていて、旦那さんも茶髪。旦那さんが外で座り込んで携帯電話でよく話している姿を見ました。下の男の子はたまに見ましたが、Aちゃんの姿を見たことはほとんどありません」

 父親のBはファミコンが大好きで、家でも家事を手伝うより、ひたすらゲームに熱中していたという。わが子の面倒より、自分が遊びたいレベルだったようだ。

 Cの母親(42)がいう。

「Aに会ったのは8月が最後です。痩せて心配だから、娘と一緒に病院に行ったんです。夏バテかもしれないから、早く処置しないと大変よ、とその時、娘に言ったんですが……。次々子供も生まれるけど、頑張るってあの娘は言ってました。でもやっぱり、子供が子供を産んだようなものだったんです……」

(以上、「週刊新潮」2000年12月28日号掲載記事より)

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「ミルクあげるのもったいないね」「うん、そうだね」――。第2回【愛知3歳女児餓死、裁判で明らかになった虐待の生々しさ】では、裁判の冒頭陳述で明かされた衝撃的な行為や言葉、そして殺人罪で起訴された裁判の結末を伝える。

デイリー新潮編集部

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