静岡の港に浮かんだ「女画商」バラバラ遺体…25年前の事件で被害者と「一級建築士」の加害者をつないだ「借金」と「ギャンブル」
物証がないまま強盗殺人で再逮捕
一方、Aさんは会社勤めとスナック経営を経て、20代後半で画商となった。一時は駅ビルに画廊を開くほどだったという。そんなAさんとBの間に何があったのか。「週刊新潮」は、Aさんの人となりと、借金に追われていた事実に触れている。
〈「男勝りの自信に満ちた口調でした。バブルの頃はかなり儲かったらしく、“ラスベガスに行って100万単位でバカラをやった”と話していました。ギャンブル好きは相当なものだったようです」(Aさんを知る画商の1人)〉(「週刊新潮」2000年12月21日号)
〈10月中旬から、Aさんの自宅には借金の取り立てと思われる車が何台も来るようになり、「私は狙われている」と周囲に語っていた〉(同)
死体損壊と死体遺棄の容疑で起訴されたBが、2001年1月30日に強盗殺人容疑で再逮捕された際、新聞はその詳細をこう報じた。
〈調べによると、B容疑者はAさんが事件の一カ月ほど前に絵を盗まれるなどして金策に苦心していたことに乗じ、つくり話でAさんを呼び出し、昨年十一月十九日午後十時ごろ、自宅兼会社事務所のある焼津市内、またはその周辺でAさんの首を絞めて窒息死させ、Aさんが持って来た絵画や掛け軸など合わせて二千三百万円相当の美術品十数点を奪った疑い〉(「静岡新聞」2001年1月31日)
「強盗」だけは否定
Bの供述が二転三転していた経緯もあり、自供と物証がない再逮捕だった。Bは強盗殺人容疑を否認したが、警察は周辺捜査を重ね、Bが金に困っていたことなど供述の矛盾をつく資料を集め続けていたのだ。
この再逮捕から約3週間後、Bはついに殺害の自供を始めた。
〈調べに対し、B被告は、同日夜、東名高速道路焼津インターチェンジでAさんと落ち合い、焼津市内の喫茶店で休憩。その後、二人でB被告の⾃宅に⾏き、再び、B被告の乗用車で外出したが、焼津市内を走行中、Aさんの借金を巡って車内で口論となり、「金づちでAさんの頭を殴った後、持っていた白いタオルで首を絞めた」などと供述しているという〉(「読売新聞」2001年2月22日)
Bは強盗殺人容疑でも起訴されたが、強盗と犯罪の計画性だけは頑なに否定。同年4月に静岡地裁で行われた初公判でも、「被害者の言葉に激高しての衝動的な犯行」とした。
殺人か強盗殺人か
対して検察側は、計画された強盗殺人を主張した。冒頭陳述によると、BはAさんと犯行の5日前に知り合ったが、以前からAさんに多額の投資を行っていたと見せかける目的で、自身の会社の書類を偽装。犯行当時、Bの借金は会社名義のものとあわせて9000万円を超えていた。また「投資」の名目で出金された金は、Bのバカラ賭博に充てられていた。
Bもギャンブルにハマっていたのである。Bはバカラ賭博を通じてAさんと知り合い、犯行当日は金策に困ったAさんの相談に乗る形で顔を合わせていた。では、そこで発生したのは「強盗殺人」か、それとも「殺人」か。
1審・静岡地裁は2002年7月1日、「強盗以外の動機が生じた可能性がある」として強盗殺人を認定せず、殺人と窃盗罪を適用。懲役18年を言い渡した。Bと検察側がともに控訴したため、裁きの場は2審・東京高裁へ移った。
東京高裁は2003年10月21日、1審判決を破棄。Bの会社の経営状態や、架空の金策話でAさんに美術品を持参させたことなどを根拠に強盗殺人罪を認め、求刑通り無期懲役を言い渡した。この際にBは立ち上がって大声を出し、裁判長から退廷を命じられている。
そして最高裁は、2004年7月12日付でBの上告を棄却。強盗殺人罪とする2審の判決が確定した。





