「親友と同じ娘を好きになってしまった」十代のよくある三角関係のはずが…46歳の今も縛られ続ける夫の人生

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【前後編の前編/後編を読む】“許されない恋心”を抑えるために…妻を使って歪んだルーティーン 彼女に会う前日に46歳夫が必ずすること

「愛してはいけない人を愛してしまった」

 言い訳なのか罪悪感なのか、はたまた恋に酔っているのか、不倫の際にそうした言葉を聞くことがある。愛してはいけない人など、この世にいるはずもない。恋するのは個人の自由だといつも思うが、それでも実際に「愛してはいけない」と思っている人を愛してしまったとしたら、全身が痛むような苦悩を味わうことになるのかもしれない。

 萩原久斗さん(46歳・仮名=以下同)は、ため息をつきながら「縁を切ればいいだけなんです。でも切れないし、切りたくない。だったら女性として愛さなければいいとわかっているけど愛する気持ちを自らぶったぎることなんてできません」と震えるような声で言った。

幼なじみの大親友

 久斗さんには、和輝さんという幼なじみの大親友がいた。家が隣で同い年、母親によれば「ハイハイをする前から一緒に過ごしていた」という。

「和輝の家は土建屋で、お父さんが2代目社長でした。大きな会社ではないけど、家族と従業員数人は仲がよくて、僕もよく行ってはみんなに遊んでもらっていました。和輝はお姉さんと妹に挟まれた長男で、優しくていいやつだった」

 ふたりは幼稚園に通ったが、途中で抜け出してはふたりで近くの公園や川で遊んでいたという。

 久斗さんはサラリーマンの家のひとりっ子だった。だが毎日、和輝さんの家で過ごしているから、夕方になると母親が呼びにきた。母はずっと仕事を続けており、和輝さんの母親は、「うちでごはん食べて行ってもいいのよ」といつも声をかけてくれた。

「母の仕事が忙しいときは、僕は和輝の家で食事をし、母と父の分のおかずをもらって帰ったりしていましたね。母はよくみなさんでと差し入れをしていた。まだそういう近所づきあいがある時代だったし地域だった。父は偏見に満ちた人だったから、『隣とはつきあうな』と母に言っていた。母は適当にはいはいと言いながら、隣とは仲よくしていた。僕はそんな両親のありようを嫌だなと思いながら育ちました」

ひとりの女の子を2人で好きになって

 小学校に入っても、久斗さんと和輝さんの関係は変わらなかった。小学校高学年になったとき、近所に越してきた都美さんという女の子がいた。和輝さんは都美さんのことが好きだと久斗さんに打ち明けた。

「実は僕も都美のことが好きだった。だけど先に言ったのは和輝だったから、ここは和輝に権利があると思った。彼のためなら僕は身を退くことができる。小学生ながらそう思っていました」

 だが小学生のことである。和輝さんは都美さんに告白などすることもなく、3人は仲よく過ごしていた。

 3人とも同じ中学に進学したが、高校受験が近づいたころ、都美さんの母親が突然、亡くなった。心臓の病だったと言われていたが、のちに都美さんは、久斗さんと和輝さんに「自殺だった」と打ち明けている。

「それを聞いて和輝は、都美以上に取り乱していた。彼は、都美のことを本気で好きだったから、ショックが大きかったんでしょう。そのタイミングで、彼は告白したようです。高校に入ったらつきあってほしい、それまで一緒にがんばろうと。都美は和輝にそう言われたことをうれしそうに僕に話してくれました」

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