高市政権の財源観は「非常に心配」 野田毅・元税調会長が指摘する「大失策だった政権」の名前
「債券安」と「円安」の進行に警戒感が広がっている。背景にあると考えられているのが、高市早苗政権が策定する21兆3000億円規模の総合経済対策。財政悪化を懸念する市場が、債券と円に売りを浴びせているのである。高市政権の「積極財政」の姿勢は、「自民党税調」の人事にも表れ、「財政規律派」の森山裕前幹事長が幹部会合(インナー)から外れ、小野寺五典氏(65)が初めてインナー外から任命されたのは既報の通り。2009年から2015年にかけ、自民党税制調査会のトップを務めた野田毅氏(84)は、そうした動きに危機感を抱いているという。同氏の指摘する「懸念」とは――。
***
【写真を見る】自民党税調の歴史を振り返る時、誰もが最初に挙げる「税調のドン」
党税調は歳入の基盤を固める役割を果たしてきた
自民党税制調査会は、日本の財政を支える最も重要な機関の一つです。その役割は時代とともに変遷してきましたが、常に「国の根幹」を担ってきました。
党税調の最も重要な任務は、毎年の税制改正を通じて国の歳入を確定することにあります。歳入見積もりは税制が固まらなければできず、歳入見積もりがなければ予算編成もできません。
つまり、すべての国家予算編成の前提となるのが税であり、党税調の仕事が順序として一番先にあります。議院内閣制の下、政府与党一体で翌年度の歳入・歳出を決めていく過程において、党税調は歳入の基盤を固める役割を果たしているのです。
党税調の具体的な仕事は三層構造になっています。
第一に、自然増収で何も税制改正しない場合の税収見積もり。第二に、年度末の税制改正で取り組むべき懸案事項。第三に、政策税制、いわゆる租税特別措置です。
政策税制とは、公害対策や設備投資促進、教育分野のテコ入れなど、国策として注力すべき分野を税制面から支援するものですが、既得権益化を防ぐため2~3年に一度の見直しが必要となります。
インナーには高度な調整能力が求められます。相反する利害を把握し調整する必要があり、政策の重要性や優先度を総合的に理解しておく必要があります。貿易摩擦の時代にはGATT(関税および貿易に関する一般協定)など国際情勢の動向も重要でした。全体を俯瞰しつつ調整を図る技量が求められ、ある程度の経験がなければとても務まらない仕事なのです。
消費税導入の裏にあった「危機感」
党税調が力を持っていた理由は、物品税(消費税以前、特定の贅沢品を対象に課税されていた税金)をはじめ、党税調が決めなければならない懸案の案件が多数あり、各業界から陳情が殺到していたからです。
大平正芳氏(総理在任期間:1978~1980年)、竹下登氏(同1987~1989年)、宮澤喜一氏(同1991~1993年)など、ある時期までの総理は財政を非常に大事にし、大蔵省を敵視することは絶対にありませんでした。吉田茂首相が進駐軍占領下で外務省と大蔵省だけは守ったように、「この二つは国家の要である」という意識が共有されていたのです。
長期的視点も党税調の重要な役割でした。私が税調で書記の仕事をするようになった1985年頃から、毎年の予算編成に絡む税制改正とは別に、長期的目線に立った国の財政を考える必要があるという問題意識がありました。
その背景には、1975年の三木武夫内閣・大平正芳大蔵大臣の時に赤字国債発行に踏み切った経緯があります。
赤字国債の条件は借り換えなしの10年返済であり、1985年はちょうどその償還時期に重なりました。少子高齢化が進むことが分かっていたため、社会保障費の膨張に備え、予算編成と大型間接税とセットで考える必要があったのです。
1984年の年末には村山達雄・党税調顧問をリーダーとする「村山調査会」が設置され、社会保障と税の一体改革が検討されていました。1989年の消費税導入の随分前から、大型間接税を導入しないと立ち行かなくなることを認識していたのです。
法人税・所得税は景気変動の影響を受けますが、年金や医療制度は景気に関係ありません。安定した社会保障の財源を、社会保険料とは別に確保する必要があったのです。
そうした問題意識から、1987年、中曽根内閣では三公社(国鉄、専売公社、電電公社)の民営化など、画期的な行財政改革を行ったうえで導入しようとしたのが売上税です。しかし、大反対の中で潰れました。その反省を踏まえ、1989年に竹下登内閣で導入されたのが消費税です。ただ、もちろん世間は大反対しますから、私を含め消費税導入に関わった政治家たちは、選挙では苦戦を強いられました。
選挙の度に票は減るばかりですし、個人的には何の利益もないことを、税調インナーとして歯を食いしばってやってきたのは、「国のため」という使命感があったからでした。
[1/3ページ]


