「僕は役者としてこの世で一番下手」 仲代達矢さんの謙虚な素顔 「朝8時撮影開始でも4時には現場に」
【前後編の後編/前編からの続き】
巨星墜つ――。11月8日、戦後の芸能界をけん引した名優・仲代達矢さんが肺炎のため92歳で亡くなった。黒澤明をはじめとする名匠と仕事をし、自身は名だたる後輩役者を世に送り出した。役者一筋の人生を貫いた“最後のスター”の実像を、関係者たちが語った。
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【貴重写真】壁一面にセリフが張り出された「仲代達矢さん」の寝室 若かりし頃、池内淳子さんとのベッドシーンも
前編【裏社会の先輩から「役者になれば」と… 苦労人・仲代達矢さんのデビュー秘話 勝新太郎との決裂、和解の裏側は? 「二人は涙を流して抱き合った」】では、仲代さんのデビュー秘話、そして勝新太郎との決裂、和解の裏側について報じた。
俳優座所属の役者として、シェイクスピア劇などに出演していた彼は、1975年、妻の宮崎恭子と共に無名塾を創設。倍率の高さから、いつしか“劇団の東大”と称されるほどに。
86年に入塾した演出家の横澤丈二(61)によれば、
「私が受験した年の志願者は1300名で、合格者は5人でした。受験生に向けて、仲代さんはこんなことを言っていた。“たまたま、僕はいい時代に役者になれたけれども、今は激戦区。食べることに困るような人が増えないように、うちではたくさん受験生を落としてしまうんだ”と。それだけ、役者志望の若者を引き受けることの責任を痛感していたのだと思います」
「仲代さんが怒鳴ったときの怖さといったら……」
無名塾は、養成コース3年間の授業料が無料。1年目から舞台に立てばギャラも出るし、地方公演手当もつく。原則アルバイトは禁止で、役者に専念することが求められるが、こんな一面もあったという。
「無名塾は“宴会塾”と呼ばれるほど、夜ごと飲み会が開かれました。箱根に合宿所があって、ふた月に1度のペースで利用します。だいたい1週間から10日ほど滞在しますが、毎晩宴会です。仲代さんはビール、焼酎、日本酒、そしてウイスキーとまんべんなく飲まれました」(横澤氏)
91年に入塾した女優・山本雅子(53)が後を継ぐ。
「ある宴会で先輩たちが酔っ払ってけんかをしていると、仲代さんが大声で怒鳴って叱ったんです。仲代さんが怒鳴ったときの怖さといったらないんですよ。ところが、仲代さんはびくついてる塾生のほうを振り向いて、舌を出していた。ふざけるのが好きな人でした」
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