裏社会の先輩から「役者になれば」と… 苦労人・仲代達矢さんのデビュー秘話 勝新太郎との決裂、和解の裏側は? 「二人は涙を流して抱き合った」
黒澤映画がきっかけで、勝新太郎と決裂
黒澤作品で忘れてはならないのが「影武者」(80年)。もともと勝新太郎が主演する予定だったが、監督ともめて降板することに。勝の代役として指名されたのが、仲代さんだった。この一件が、二人の関係を引き裂く結果になったのだ。
勝新太郎の兄・若山富三郎の息子である俳優の若山騎一郎(60)が振り返る。
「勝は、誰も自分の代役を引き受けず、最終的には自分にその役が戻ってくるはずだと考えていたんです。ところが、『座頭市』シリーズでも共演したことのある、仲の良い仲代さんが引き受けたことで、意固地になったのでしょう。それから勝は、仲代さんと口を利かなくなってしまいました」
仲代さんは代役を引き受ける前に、勝からの了承を得るべく奔走。が、結局勝とは会えず、そのままになってしまった。“仁義にもとる”と激怒した富三郎に呼び出された折には、勝に会えなかった事情を説明して理解してもらえたと、あるインタビューで明かしている。
「『影武者』を見た勝は“面白くなかった”と言いましたが、それは“俺が出ていればもっと良かったはずだ”という思いがあったからです」(同)
「仲代さんと勝は、涙を流して抱き合った」
二人の仲が“修復”するのは16年後のことだった。
「96年、仲代さんの奥さんが亡くなったときに、勝は妻の中村玉緒さんと一緒に弔問に駆け付けた。仲代さんと勝は、涙を流して抱き合ったそうです」(若山騎一郎氏)
一方、若山富三郎とは映画「道」(86年)で共演。
「親父は仲代さんにも自分のことを“先生”と呼ばせていました。私が親父の付き人をしていたときのことですが、ある日、出演者たちでカラオケスナックに行きました。まず親父が歌うことになった。ちょうど採点機能がはやり出した頃で、親父は60点台。が、そのあとの仲代さんが70点以上だった。みるみる親父の機嫌が悪くなってね。いつも冷静沈着な仲代さんが、たじろいでいたのを覚えています」(同)
仲代の代表作は、黒澤作品ばかりではない。根強い人気を誇るのが、大正から昭和にかけての、土佐の侠客を熱演した「鬼龍院花子の生涯」(82年)だろう。
同作の脚本を手がけた高田宏治(91)が言う。
「仲代さんは55年、俳優座でイプセンの名作『幽霊』に出演していますが、当時、私はその芝居を見ています。彼は2歳年上。なんというすばらしい役者が現れたものかと感銘を受けました。それまでいなかったような、スマートでダンディーな俳優さんが現れたな、と。『鬼龍院』では、人間的な愛とか悲しみの情があらわになる演技に魅力を感じました」
“なめたらいかんぜよ”で一世を風靡した同作には、こんなこぼれ話もある。
「共演した女優の夏目雅子のことは、五社英雄監督と東映のプロデューサー、そして仲代さんの三人が、そろってえらくほれ込んでいました」(同)
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