不倫相手と暮らして6年、捨てた妻が「がん」だと聞いた…揺れる49歳夫に共に暮らす彼女が静かに告げた言葉とは

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【前後編の後編/前編を読む】「パパ、どこにも行かないで」絶叫する娘を振り切り女性のもとへ 49歳夫が“自ら壊すことになる家庭”を築くまで

 積田忠信さん(49歳・仮名=以下同)が家庭を捨て、女性のもとに走ったのは8年前のこと。ごく普通のサラリーマン家庭に育った彼は、学生時代に交際していた留学生との破局を通じて「人の気持ちは変わるのだ」と学んだという。社会人になると会社勤めの「つまらなさ」に絶望しかけるも、士業の資格を得て先輩と独立。学生時代の後輩で事務を手伝っていた乃理子さんと関係をもち、妊娠を機に結婚した。

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 30代は子どもの成長を楽しみにし、仕事に全力を傾ける。そんな充実した生活だったと忠信さんは言う。

 だが40歳目前で両親を相次いで亡くしたとき、ふっと心に穴があいたような気がした。

「乃理子はいい妻だし、いい母だったけど、うちの両親をなぜか嫌っていたんです。母だって、そんなに口うるさいタイプではないし、まして同居しているわけでもない。なのに僕の実家にはまったく近寄ろうとしなかった。電話すら出なかったみたいです。代わりに僕がときどき実家を訪ねたり、頻繁に電話をかけたりしていました。姉は『仕事が恋人』というくらい仕事好きで、月のうち半分以上、出張している。とても親のめんどうを一緒にみようとは言えなかった」

 両親は特に大病をしたわけではなかった。70代前半の父がある日、脳卒中で急逝し、その2週間後、母も突然、亡くなったのだ。仲のいい夫婦だった。

「もっとどこかに連れていってやったりすればよかった。僕が資格をとって事務所を開くとき、いちばん心配していたのは両親だった。父はお祝いにと現金をくれました。いちばん頼りになるだろって。そのときの笑顔や、子どものころあちこち遊びにつれて行ってもらったことを思い出して、気持ちが弱っていったんです」

追い打ちをかけた妻の台詞

 そんな忠信さんを見て、「親が先に死んでよかったわよ」と乃理子さんは言った。「死んでよかった」とは言っていない、「親が先に逝くのは当然だと言っただけ」とあとから乃理子さんは必死に言い張ったが、忠信さんの耳には、母の葬儀のとき「よかったわよ」と確かに聞こえたのだ。

「結婚生活がうまくいっているなんて、僕の思い過ごしだったんだと思いました。確かに妻と僕と子どもたち、4人の関係はそれなりにうまくいっていたけど、乃理子には僕の親への敬意がまったくなかった。それはひいては、僕への敬意もないということですよね」

 年齢的にも不安定な要素があったのかもしれない。男性にも更年期はある。ちょうどいろいろなことが重なってしまった可能性もある。彼は、なんとなく体と心の不調を抱えながら過ごしていた。表向きは、今までと変わらない結婚生活を送りながら。

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