不倫相手と暮らして6年、捨てた妻が「がん」だと聞いた…揺れる49歳夫に共に暮らす彼女が静かに告げた言葉とは
バーで働く澄恵さんとの出会い
そんなとき知り合ったのが澄恵さんだった。事務所近くの路地奥のバーで働く女性である。それまではひとりで飲みに行くことなどめったになかったのだが、両親が亡くなり、妻への複雑な気持ちを抱えるようになってから、彼はときどきそのバーに寄った。
「バーテンダーの資格をもつ澄恵は、いつでもキリッとした出で立ちで丁寧に迎えてくれる。その店の主は、ベテランバーテンダーでしたが、高齢になったため週に2回くらいしか出てこない。代わりを務めていたのが澄恵です。彼女の作るカクテルは、彼女のようにキリッとした味が冴えていた。客とはあまりおしゃべりをしなかったけど、それはひとり客が多いためだそうです。ひとりの時間を楽しむお客様の邪魔をしないのが店主のモットーらしくて。だから彼女も言葉数は少ない。でも話しかければぽつぽつと会話はしてくれる。とにかく落ち着く店でした」
常連たちも、特に親しげに話すわけでもない。見知った顔がいれば会釈を交わし、あとはひとりの時間に埋没していくタイプが多かった。
「あるとき、澄恵とふたりきりになったんです。夜も更けたし、そろそろ帰ろうかと腰を上げると、『お疲れですか』と彼女が声をかけてくれた。知らないうちに大きなため息をついていたようです。まあ、いろいろねと言うと、『吐き出したほうがよければ聞きますよ』って。誰もいないから、たまにはいいかと思って、もう一度腰を据えました」
妻の悪口を言うつもりはなかった。仕事で突っ走ってきたこと、突然、両親が相次いで亡くなったこと、でも妻にとっては自分の親じゃないから、気持ちをわかってもらうのはむずかしいということ。
澄恵さんは口を挟まなかった。ときどき頷き、先を促すように相づちを打った。それが心地よくて、忠信さんは1時間もひとりで語ってしまっていた。閉店の時間をとっくに過ぎていたため、彼は平身低頭して店を出ようとした。
「軽く飲みにいきませんかと澄恵が誘ってくれたんです。ただ、この近くの居酒屋などには少し行きづらいので、私が住んでいるところの近くでどうでしょうって。彼女はひとり暮らしで、僕の自宅から車で10分程度のところ。なんだ、近くに住んでいたんだと急に親しみがわきました」
しかも話を聞いてみると同じ大学で、忠信さんより一回り近く年下だった。若いのに、人の心の機微を察知する能力に長けている澄恵さんを、彼は一気に信頼した。
帰宅するとテーブルに…
その日は軽く飲み直し、彼女を送り届けて自宅に戻った。テーブルの上には何もなかった。以前なら忠信さんのためのおかずが置いてあったのだ。彼は乃理子さんの料理が好きだったから、遅くなっても何か少し食べることが多かった。それを妻もわかっていて、用意してくれていた。
「両親が亡くなったときの一件で、僕の気持ちがすっと離れたのを乃理子も察知していたのかもしれません。いや、もともと僕らはお互いに好きだとか愛しているとか、恋愛に浮かれて結婚したわけじゃなかったから……。その弊害が出てきたのかなとも感じました」
一方、澄恵さんとの関係は徐々に進展していった。深酔いして澄恵さんの部屋で眠ってしまったことがあった。未明に彼女に起こされてあわてて帰宅したが、ちょうどお手洗いに起きてきた妻と鉢合わせして気まずい気持ちになったこともある。
「澄恵と一緒に暮らせたら楽しいだろうなと思うようになりました。とはいえ、澄恵は平日は夜の仕事だし、僕とはすれ違いになる。それでも彼女は日曜が休みだし、平日も1日休める。あるいは僕が彼女の部屋の近くに部屋を借りることを考えてもいいかもしれない。そうやって想像し始めると、どんどん気持ちが楽しくなっていきました。ああ、これが恋なんだと思った。学生時代の留学生に惚れたことを思い出したりして」
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